セミ取りに 興じし子らも 帰る頃

老境自在(37)

 昨年亡くなった叔父のお墓参りのため九州に行った。叔父とは色々な思い出があるが、小学生の頃、夏休みに北九州にあった母の実家に行った際に、セミ取りに連れて行ってくれたことを今でも覚えている。家の裏山の木に留まった油ゼミを、長い竿の先の網で捉える。もう60年以上も前のことである。

 羽田から飛行機に乗り、福岡空港に降り立った時に、空港で見た昔の光景をふと思い出した。ダイエー・ホークスの監督であった田淵幸一が迎えの車に颯爽と乗り込む場面に出くわしたのだった。福岡は野球の盛んな土地で、昭和30年代前半には西鉄ライオンズが何度か日本一になり、福岡は野球熱に覆われていた。その後、ライオンズは西武鉄道に所有が移り所沢に行ってしまい、福岡の野球ファンは寂しい思いをした。

 そこに、スーパーの最大手だったダイエーが南海ホークスを買収し、本拠地を大阪難波から福岡に移した。福岡の野球ファンはプロ野球が帰ってきたと大喜びした。田淵は、ダイエー・ホークスが福岡に本拠地を移した翌年1990年から3年間監督を務めているので、福岡空港で目にした光景は30年前のことである。ダイエー・ホークスも今やなく、ソフトバンク・ホークスになっている。ホークス、ライオンズだけでなく他の球団も、所有する企業が時代と共に変わっていった。
 60年前の球団所有企業の内訳は、鉄道会社6社、新聞社3社、映画会社2社、その他1社であった。それが現在では、食品会社とIT企業が3社、新聞社と鉄道会社が2社、その他2社である。鉄道会社の凋落と食品会社及び、IT企業の隆盛が目立つ。

 墓参のための旅の途上、プロ野球の球団所有者の変遷に思いが巡った。そのついでに我が人生を振り返ると、60数年前に北九州の裏山でセミ取りに興じていた子供が、出張で全国各地を飛び回る大人になり、今や東京の郊外でnoteへの投稿を楽しむ老人になっている。プロ野球は世と共に今後も続いていくだろうが、我が人生は幕引きが近づいている。

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