ファミレスや 子供と共に 遠くなり

老境自在(28)

 我家の近くのバス通に面した場所に新しくラーメン店が開店する。その場所には以前スパゲティーのチェーン店があった。バス通沿いのその地に最初に店を開いたのは自家製パンを提供する喫茶店チェーンであった。従って、ラーメン店は同じ土地の同じ建物に3代目として登場したことになる。最初の喫茶店ができたのが20年近く前だから、平均すると5、6年で店が変わっている勘定になる。水商売だからそんなものなのだと云えばそれまでだが、その裏には社会の変化があるようにも思える。

 大都市の郊外を中心に、すかいらーく、デニーズと云ったいわゆるファミリーレストランが出現したのは、子供が小学校に入った頃であっから30年以上前である。その頃はベビーブーマーである団塊の世代が子育てをする時期であった。また、日本経済が高度成長を遂げ1億総中流と呼ばれた時代でもあった。ファミレスは次々に出店されたが、週末はどの店も家族連れで大盛況であった。しかし、我が家では子供が高校生になる頃からファミレスにはほとんど足を運ばなくなった。これは団塊の世代の家庭全般に見られた現象だったに違いない。

 ファミレスの次に家族で足を運ぶようになったのは回転寿司の店だった。それまで、寿司と云えば、来客があったときに近所の寿司屋から出前をとるくらいであった。回転寿司店が郊外のあちこちに出来るようになった頃から、家にお客が訪れることが少なくなった。その影響か街角のお寿司屋さんが次々に店を閉じていった。回転寿司の出現は、人々の寿司に対する認識を変え、寿司業界のあり方も変えた。

 このように時代とともに、外食店は栄枯盛衰を続けてきた。近所のスパゲティー屋がラーメン屋に変わるのは、社会変化によるものなのか、人々の嗜好の変化によるものなのかは分からない。また、新しいラーメン店がいつまで保つかも分からない。だが、スパゲティー屋が閉店に追い込まれても、そこにラーメン屋を開く人がいるのだから、社会に活力がまだまだ残っていると見て良かろう。

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