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ご隠居は 朝髷を結い 湯に入る

 新型コロナウイルスの感染が広がった2年前から、床屋に行くのを止めて家で妻にカットしてもらっている。20年前、ニューヨークに駐在していた時に何度か妻にカットしてもらったことがあったので、虎刈りにされる心配をせずに頼めた。

 ニューヨークではキューバからの移民がやってる床屋に通っていた。事前に電話で予約し、店のある建物の小さな入り口ついているインターホンで来訪を告げてドアを開けてもらう。狭い階段を上った先に店があり、客はいつも1人と決まっていた。ニューヨークの治安の悪さから身を守るためなのか、無許可営業の摘発を恐れてなのか知らないが、マンハッタンのど真ん中の何とも奇妙な店だった。キューバ人の親父の腕はイマイチだったし、予約が面倒なこともあって、妻にお願いすることがあった。

 昭和の時代に日本の津々浦々にあった床屋の親父の腕は確かだった。日本の床屋には、江戸時代の髪結床以来の伝統があったのだから腕は確かなものだ。日本の床屋ではカットだけでなく洗顔、顔剃りまでやってくれるのが普通だったが、ニューヨークでは、今でもカットしかしないのが常識だ。顔剃りもまた江戸時代からの流れをくむものだ。髪結床では髷を結うだけではなく月代を剃るのも仕事だったから、日本の床屋は剃刀が使えてなんぼと云うことになる。

 江戸の髪結床を舞台に庶民の暮らしを面白おかしく綴った式亭三馬の「浮世床」には、長屋の住人が次々に登場する。その1人であるご隠居が、朝早く浮世床に行くと親方はまだ寝ていて店が開いていない。店の戸を叩くと丁稚が出てくる、機嫌を損ねたご隠居が丁稚に「先に湯に行ってくるので、その間に他の客がきても俺より先にやるな」と云う件りがある。朝湯に朝床、なんと羨ましい。

 それに比べて令和のご隠居ときたら、髪は妻に切ってもらうか、洗顔、顔剃りなしの1,000円カットショップで切ってもらうのだから情けない。せめて、近所の銭湯で朝風呂でもと思っても、銭湯は午後4時にならなきゃ開かない。

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