歳重ね いつか成りたや 微笑仏

老境自在(38)

 先週末、叔父の墓参りをを終えた後、太宰府にある九州国立博物館を訪れた。大きな波打つ屋根の外観もユニークだが内部は屋根まで吹き通しの巨大な空間になっておりビックリした。2階に特別展示ブース、3階に常設展示ブースが設けられている。「海の幸、山の幸」と銘打った特設展示で、思いがけず木喰仏を見ることができた。木喰仏は実物になかなかお目にかかれないので、これは墓参りという善行に対するご褒美ではないかと思った。

 江戸時代の後期に全国を行脚した「木喰さん」と称された僧が、行く先々で彫った仏像が木喰仏と呼ばれるが、その数はなんと1000体を超えるという。木喰さんは立ち寄った村で一宿一飯のお礼に仏像を彫り、その地の寺院や祠に奉納した。そのため木喰仏は世に出ることがなかった。民衆の工芸の中に美を認めたことで有名な柳宗悦が、木喰仏に注目したことによって、木喰仏は世の知るところとなった。しかし、今でも木喰仏は現地に赴かなければ見ることはできない。

 数年前に、木喰さんの彫った16羅漢像を見るために京都郊外のお寺を訪れたことがある。羅漢像の顔はどれも微笑んでいる上に姿形がユーモラスで、見ているとなんだか楽しくなってくる。また、長岡市郊外のお寺で見た30体以上の木喰仏も、全て微笑んでおられた。木喰さんが彫った仏像はみんな微笑んでいるものと思い込んでいたが、博物館に展示されていた日向国分寺の仏像は厳しいお顔をされていた。不思議に思い調べてみると、木喰さんが微笑んだ仏像を彫るようになったのは80歳を超えてからだと分かった。

 京都の16羅漢像は89歳の作という。厳しい修行を重ねた僧であっても、微笑む仏像を彫る境地に至るには80年という齢が必要なのだと知った。すぐにしかめ面をしては家内から嫌がられているが、修行の足りない75歳であれば致し方ないと思えてくる。しかし、今のような暖衣飽食の日々を送っていたのでは、80歳を超えても笑顔を絶やさずに過ごせる境地には至りそうもない。

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