タイプ4の世界観と1統合について

・はじめに

私が思うことを書きました。
1統合の説明を目的として書き始めたためこのようなタイトルとなっていますが、実際には4の世界観に関する私なりの説明がこの記事の大半を占めています。

書こうとして思い浮かんだものしか書いていないためガバガバです!大事なのに書いていないことがたくさんあります!まずい!

主語の多くが「タイプ4」となっていますが、実際には私(4w5 sx/sp自認)の話が主です
中途半端です 気が向いた時に加筆します



・囚われと「個性」について

タイプ4は、「どうやら、ありのままの私はどこかが変でおかしいらしい。社会に属すなら満たされるべきでありみんな満たしている『普通』の条件を自分は満たしておらず、人としてこの場に存在するのなら持っていなければならない必要最低限のものを持っていない(だから迷惑をかけたり不快感を与えたりするので、この場に居る資格が無い)ようだ」ということ、またそれによっておかしな振る舞いをしてしまい恥を感じること、人々の中に自分には無いものを見出し羨み、自分に対して悲観的になってしまうことに囚われている。

「4は自動反応で個性的になってしまう」というのは上に書いたようなことだが、ここでの「個性」とは「欠陥、悪い特徴、変なところ」という意味合いを持つ。

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追記:「囚われている」と書きましたが、これに心が拘束されていて抜け出せないんだよなーと自覚・意識しているものを挙げているだけで、囚われとは話が違うかもしれないことに後から気づきました。囚われてるものには囚われって言って良いんだっけ?
一応補足しておくと、タイプ4の囚われと言われているものには他に、自己放縦や不幸への陶酔などがあります。

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欠陥により「普通」を満たす人間で在ることができないので、「自分はここに居て良い奴ではない、この場に存在していては良くない理由が自分にはたくさんある」ということを恥・痛みと共に頻繁に感じるが、人である以上他人との関わりを断絶して生きることはできず、自分はダメだと痛感しながらも世界に居座り続けざるを得ない。
長所、つまり存在価値をつくることで上に書いたような己のダメさをカバーしようとしても、それがありふれたものであれば、「普通」を満たしていて欠陥品では無い他の人々と被ってしまう(欠陥品という表現は一番分かりやすい喩えだと思ったため用いたが、これは正直かなり嫌なものだし、道徳的には不適切である)。そうなれば、選ばれるのは当然、自分以外の普通の人々だろう。自身に存在価値を生もうとしてつくったその長所はもはや意味を成さず、私はふりだしに戻ることとなる。
だから、そのような形で失うことの無い "個人としての存在意義"を渇望するようになるし、「私だけの(長所である)個性」などが必要になってくる。

タイプ4は、自身が良い意味での「個性」を持つことを追い求めているタイプではあるが、結局のところ手に入れたいのは、欠陥さえも埋められる"個人としての存在意義"だ。タイプ4本人にとって重要な場所(個人としての存在意義を持ちたいと望んでいる場)においてこれになり得るものならば、例え「個性」と呼ばれることはあまり無いような 世間的にはありきたりなものだったとしても、何ら問題無い。
(こんな状況は滅多に実現しないけれど。)

・「本当の自分探し」について

「それになれるのはそれだけであり、偽物が嘘をついて演じることには何の意味も無い。大事なのは、実際の自分、本当の自分がどんな存在であるのかという真実を見つけ出すことだ」
という思いが、私の奥深くには存在している。類型とは関係の無い話題について考えていた時に湧き上がったものを言語化していたら出てきた。自分がこうなった経緯はまだよくわかっていない。
これに関しては、自分の中でまとまった話になった時にまた書きたいと思う。

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追記:相互さんから読ませていただいたリソ本実践編の説明によると、「タイプ4は幼少期、適切なミラーリング(自分に対する親の反応により、自分がどのような存在かを知る)がなかったため、自分には何か大きな欠点があるに違いないと信じ、生涯にわたる自分探しの旅を始める(要約)」そうです。これだ〜‼️書籍最高‼️
ミラーリングが不足していたことが全ての始まりかも!

エニアのタイプのことが分からない場合、まずは書籍を読んでみることをおすすめします。私は4の説明ならおそらく解説できるので、噛み砕けない箇所に困ったらお声がけください!

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・「妬み」について

これは他のタイプの方々から誤解を受けやすいことであるが、タイプ4の「妬み」には「奪いたいという気持ち」や「相手の不幸を願う気持ち」は含まれていない。
そんなことは思わない。と言うか私にはこれらのような発想も無かったので、そういう誤解を受ける可能性を考慮できておらず、他タイプの方々から「このようなことではないのか」と言われるまで誤解を訂正することができていなかった。

私の感覚としては、「妬み」というのは、どこかしら羨ましい部分のある他人を見て、
「いいなあ〜〜〜いいなあ〜〜〜〜😭」
「私もあのような生い立ちであれば…」
「私もあのような振る舞いができる人だったら…」
「私もあんな風だったら、あの時のような失態も犯さなかっただろうし、今の状態もこうだったかもしれない…」
「私はなぜ今このように…」
「私が今このように生きる意味は…」
と言った風に、仕舞いにはひたすら自分について思いを巡らせ考えてしまうことなのだ。

私と他人には全く違う人生があり、全く違う人間であり、きっと私の知り得ない地獄を抱えているのだから、羨ましく思える部分が一つや二つあったところで相手の不幸を望むなんて訳がわからない。それはあまりにも短絡的だし、思慮が浅いし、さすがに人としてヤバいよ!と思う。

「私は他人へ頻繁に嫉妬をしてしまう。しかし、ある人がある部分について私よりも良い状態だったとしても、相手はその他の全ての要素で絶望的に恵まれていないかもしれない。だから、嫉妬というのは本来あまり表に出すべきではないものだ。また『私は嫉妬しました』と明かすことは『私は何かしらの劣等感を感じました』と表明していることになるのかもしれず、それは非常に恥ずかしい。」
と思い、長年嫉妬の感情をなるべく感じないように意識し、また表に出さないようにしてきた私としては、あのような誤解を受けるというのはかなり苦しいことだ。もしもタイプ4の「妬み」について「相手の不幸を願う」とか「それを奪いたいと思う」という解釈をしている人がいたら、どうか認識を改めて欲しい。

・恥について

タイプ4はハートセンターであり、恥を恐怖している。
私たちにとって、恥をかいたと感じることは精神的な苦痛を伴う。人によっては身体にも痛みを感じる。恥をかくことがとにかく辛いし怖い。回避したい

「毎日過去を思い出しては苦しんでいるし、新たに恥ずかしい思いをすれば苦しい回想の種類が増える」という話をした際に、8の相互さんから「それは乗り越えるものではないのか?」と訊かれた。

私にとって、恥をかいた出来事とは「消えないし変わらない、すでに起こった過去、事実」である。例え私や周りが忘れようがあの時あの瞬間に私が恥をかいたことは事実に変わりない
私の中にあるものは傷や鎖ではなく、記憶だ。それを思い出す度に私は脳内で再体験をしていて、受ける痛みはリアルタイムのものなのだ。そもそも「乗り越える」という行為を適用できる対象ではないと感じる。
しかし、恥をかいた過去が存在することに苦しむこの過敏さ、この悪癖を乗り越える、ということならあり得るだろう。それがおそらく1統合だ。


・4の1統合

タイプ4本人にとって重要な 個人としての存在意義を持ちたいと望んでいる場 における、自身の"個人としての存在意義"が、空想ではなく現実から(※1)自分の意識へ安定供給されるようになることで(つまり何らかの方法でそれを獲得するということだが、そもそも「存在意義/価値/資格が無い」という問題自体が本人の意識によるものなので、これを得たと言えるかどうかは本人の意識に全て依存している。)タイプ4には安定した情緒で生きるための必要最低限の自己肯定感が育まれ、「今、自分は悪く思われ恥をかいたのではないか」と過度に心配せずに居られるようになる。また、そのように落ち着いて今を生きられる(恥ずかしくない良い過去の記憶や空想の中に逃げて気を紛らわせることをせずに現在を見つめていても、現在が恥ずかしくないので生きていられる)ようになったことで、過去を振り返って深刻な内省をする時間が減り、思考の循環スタイルがさらに病まないものへと変化する。

そうしてタイプ4は、「恥をかいていないかどうかということへ常に気を張ることをせず、ただ自分にとって自然なように、ありのままに振る舞っていても、それが変・おかしい・良くないものだったと後から知りまとめて致死量の恥を感じることはきっと無いから、あまり敏感にならなくて大丈夫だ」と思えるようになり、過敏さが改善し、気分が安定する。

また同時に、自分の心が快適で居られる程度には本心をオープンにし素を出しつつも、恥をかかない(と自身が思えて、苦しい記憶にはならない)振る舞いができるようになる(※2)。

感情の(ネガティブな方向への)動きやすさも以前より弱まる。現実の状況に対して、感情の声のボリュームを下げ、頭で処理することができるようになる。

私が感じた感覚の話になるが、かなり不健全だった時期はずっと、胸(心、感情):頭(思考)=5:1ぐらいの強さで万物に反応していたのに対し、健全度が上がってから3:3ぐらいの関係に変わった。
でも相変わらず本体は感情だなと、思います!長年抱きしめてきたものなので、本体が何かを定めるのならそっちがいいという思いもあります!

※1:論理として、これは必ずしも現実である必要は無い。その人が生きている世界、統合する世界で、"個人としての存在意義"を得る必要があるということ。
※2:恥に対する心の過敏さを抑えられるようになったことによる自己感覚の変化が理由であり、コミュニケーション能力が上がるという訳ではない。


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加筆したいことが思いつき次第加筆しています
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