TINY LINER NOTES on 'SLOOP JOHN B'

ビーチ・ボーイズの「スループ・ジョン・B」は、『僕』とじいさんが二人で漁りの旅をし、いろいろあって、帰りたくて仕方ないくらい最悪のトリップなんだという、まあそういう歌だ。

『僕』の気持ちはただひとつ:
”Let me go home.” 

『僕』はいつか家へと帰るかもしれない。帰らないかもしれない。

どちらにしろ、そのことで、『僕』たちはそれぞれの
 ”the worst trip I’ve ever been on” 
を終えられるわけでもない。その途上で、『僕』はだんだんと知るようになる。この旅は、同時に
 “the best trip I’ve ever been on”
 でもあるということを。
『僕』に許されたこの人生は、どう転んでも 
”the only trip I’ve ever been on” 
だという事実を。


*

オレには長いこと、じいさんがいない。ひとりは見たことがなく、もうひとりは小学1年生の時に死んだ。

 死んだじいさんについて、たった一つだけ、直に覚えていることがある。

このじいさんがオレの家に来た時、オレは一階の居間に敷かれたじいさんの布団の中に呼ばれ、ずっと際限もなくじいさんに抱かれていた。じいさんはじいさんの臭いだった。どんな臭いか思い出せないけれど、嗅いだ瞬間に思い出せる自信はある、あのじいさんの臭い。嫌だとは思わなかったが、眠ってしまえるほど快適でもなかった。ただ、オレは、良い初孫でいた。

そうして、次の記憶は、暑くて仕方のない島の田舎の家、じいさんの葬式だ。久々に勢揃いのいとこたちと、ひたすらセミを採って遊び回った。
その他の記憶はすべて、周りから刷り込まれた情報に間違いない。ともかく、そこにはまったく臭いがないのだから。

人並みに(本当に、やっと人並みだ)いろんなことがあって、最近、じいさんのことばかりを思い出す。愛着とか後悔とか懐旧の念とか、そういう感じではない。ただ、オレも少しずつ、じいさんに近づいてきた。じいさんがいなくなって、以来25年間、オレは身近な親類の死を経験せず、ただ、のうのうと生きてきた。じいさんと心行くまで話してみたい、とぼんやり思うのは、決して実現することがないから、じいさんがこの世界にいないからなのだろう。

祖母は二人とも健在だ。記憶もしっかりしている。だが、いざ会ってみれば、オレは何一つ本音を話すわけでもない。不肖なりに、オレはやはり良い初孫を精一杯するだけだ。それが務めだからでもあるし、それ以上に、生の人間と話すことへの根本的な無関心 ―むしろ恐怖なのだろう― という、オレの性格のせいでもある。

おやじもおふくろも、元気この上ない。相談はしない。不和なのではない。親を頼みにして解決するような問題は、小学校のときに終わっている。
それくらいのことは忘れようもないくらいには、オレはオレを生きてきた。

*

『僕』はじいさんと最悪の旅をする。

最悪なのは当然の帰結で、生きたじいさんなんて、必定そんなものなのだろう。友人や恋人の方が輝いているに決まっている。だからこその友人であり、恋人だ。翻って、じいさんなんてものは、生れたときからなぜだかそこにいる、話の分からんしわくちゃだ。

*

 骨になって久しい ―その骨も今や形を留めているだろうか― じいさんと、オレはいま、ぼんやり対面している。

 じいさんの墓参りにも、ろくに行ったことはないのに。盆も仕事か遊び呆けているかで、一瞬たりともじいさんのことなど考えたことはないのに。

 生きているということは、じいさんに訊きたいことばかりを際限なく抱え続けることなのだ。オレが何を訊いても、実家の写真立て、くすんだ色の渋い笑顔は黙っている。黙っていることなんか百も承知だ。それでもオレは、じいさんに話しかける。

 じいさんが布団の中でオレを抱いて離さなかったとき、じいさんの目は、もはや見えてはいなかったらしい。オレはそのことを知らなかったし ―いや、思い出してみると、家での会話には何度も、「ミシマ眼科」という単語が出ていた― 知ったからといって何かが変わっていたはずもない。そのとき、オレは間違いなく、じいさんにとってのかすかな光だったのだ、こういうことを、最近は恥ずかしげもなく考える。
いや、恥ずかしげなど不要なのだろう。その程度には、オレもじいさんに近づいてきたということだ。何の躊躇もなく確信できることなぞ、実際、それくらいしかないではないか。

なあ、じいさん。周りからは気楽に見えたとしても、オレも相応 ―オレはそれ以上と思っているよ― に闘ってきた。
じいさんの若かった頃とは違い、オレは軍人手帖も銃剣も手榴弾も持たない。じいさんがオレのおふくろのおやじだったときとは違い、繁栄と立身を夢見る、そんなバラ色の世界には、もはやオレは住んではいない。

なあ、じいさん。それに加えて、どうも通り一遍の闘いではないらしいから、通り一遍の見方からは盲点となる地点にいて、見渡す限りの人混みの中で、毎日脂汗を流すことになる。格闘の対手さえ判然としない。見定めたときには既に勝っている、そういう類の対手だということが、薄々と分かっているだけだ。

 原理的に自問自答しか術のないこの闘いと言ったら、いつだって無限ループの倦怠の恐怖と隣合せだ。数十ページに亘る式展開のあげく、与式に逆戻り、なんてことはザラだよ。数学が得意だったじいさんなら、きっと分かってくれるよな。

 なあ、じいさん。オレだけじゃないんだ。今は、誰だって似たようなものなのだ。少しずつ、方向なりディテイルなりを異にする、隣人には通じにくい、困った闘いをしているのだろう。ただ、相変わらず墓穴は自分で掘れないし、そこに自分のしゃれこうべを納めることもできない。だから、己の生きる穴くらいは誠実に掘ってゆきたい。

そうやって、『僕』たちの生きる穴は自ずと、『僕』たち自身にオリジナルの形をとる。

「独りで生きる」ことは、いわば宿命である。眼に見えるこの手を繋ぎ、体を寄せ合い抱き合える同士は、この世にしかいない。眼に見えぬ魂を繋ぎ、存在の本質を寄せ合い抱き合える知己は、この世にはいない。
吹雪の日にも凍えないために友人や伴侶を持ち、絶対の孤独に打ちひしがれぬために、そうだ、オレは、なあ、じいさん、あなたを間近に感じる。

ありとあらゆる苦い闘いを戦い終え、いまは静かに箱の中で休むじいさんは、オレを肯定する術をもたない。オレを否定する術ももたない。批評したり、渋い顔をしたり、たしなめたりする術ももたない。何もしない。全力で出した糞のようなオレの全体を、ただ沈黙で包んでくれる。オレしか知らないたくさんのことは、何一つ漏らさず、じいさんも知っている。

 オレは、これからどれくらいの間、箱に入って休むまで続くこの闘いを続けることになるのか分からない。その間、想像を絶する成功や筆舌に尽くしがたい失敗を何度繰り返すのかも、やはり分からない。いずれにしろ、じいさんは黙って、そのオレの姿を見ている。な、そうだよな。

*

スループ・ジョン・B号に乗った『僕』は、行く先々で災難に遭う。酔いつぶれた航海士がとっつかまったり、コックに飯を投げつけられたり。
些細なことだ。微笑ましくもある。こうやって、スループ・ジョン・B号には、一つひとつの些細なことが、静かに降り積もってゆく。しだいに『僕』の言葉を奪いながら。


大きなことは、『僕』を完膚なきまでに打ちのめす。
『僕』に残された術は、ただ打ちひしがれるか、歯を食いしばって少しずつ強くなるか、だ。

『僕』を本当に損なうのは、いつだって些細なことだ。打ちひしがれることもできず、歯を食いしばることも許されず、長い船酔いの吐息の隙間から、ただつぶやく。
”Let me go home, so let me go home”.


*

なあ、じいさん。オレは巨大で茫漠とした都会に倦んで、来年の春、遠く離れた、もう少し小さな都会に移り住むことに決めたよ。

田舎から出てきていつの間に、15年が経った。打ちひしがれもせず、歯も食いしばれず、ゆっくりゆっくりと流されるまま、オレはもう限界に近づいてる。そのことに、ある日、通勤の満員電車の手すりにもたれかかって、いつもの呼吸を失って、はたと思い至ったんだ。人生は、とてもうまく行っているのにな。

 派遣みたいな仕事をしている。人にものを教える「臨時教師」だ。じいさん、こういうのは心配するかもな。百姓と村の役職しかしないカタギだったんだもん。ああ、あとは、誰にも語ろうとしてくれなかった、2度の兵隊暮らしか。

なあ、じいさん。少し弱音を吐くよ。

去年の秋、ある授業で、オレはちょっとしたヘマをした。怠惰さが目に余る生徒に、率直な言葉でその怠惰さを指摘してしまったんだ。確かに、過度の疲れで気が緩む時期でもあった。傾いだ筏の上で不断にバランスをとり続けるように、言葉の上に張り詰めていた糸が、ほんの少し、たわんだ。一瞬だけ、仮面が剥落した。

そうでない時代があったことさえ定かではないが ―いや、オレは若い頃、毎日「暴言」や「皮肉」や「暴力」を食らっていた― 、いまの教師は生徒を叱れないんだ。叱られることへの反撥、叱責の正当性への疑義、そういう生易しいことではない。己に対する叱言を問答無用で黙殺し、返す刀で発言者もろとも撲殺しようとする、どす黒い怨念のような意思だ。

親は抗議。即、面談だ。生徒じゃない、オレの、さ。

社員に伝わったクレームの、見事の『破綻の無さ』に、オレは度肝を抜かれたよ。そこで描写された生徒は、まるでボランティアに勤んでいる最中、不意の隕石に直撃された無辜の犠牲者であり、一方の教師の野郎は、血も涙もない暴言教師そのものだった。もし仮にそんな教師がいたら、代わりにオレが抹殺してやるよ。

正義って、こうやって大量生産されてくんだな。

皮肉なことに、オレはそのとき、≪言葉の力≫というものを、何よりも強烈に思い知った。≪言葉≫というものは、そういう効果的な使い方もあるのだ、と。

韜晦なしに、心から意外で、オレはあまりに無知だった。

そう、些細なことなんだ。その一件で、オレはクビになったわけでもなく、壇上に立ったオレに、何かしら不可逆的な変化が起こったわけでも、たぶんない。つまりは、この世には何事も無かった、ということだ。

じいさん、あんたの話を聞く機会もめっきり減ったな。いまは「昭和」も終わって、「平成」って時代だ。おふくろは田舎、あんたの奥さんは、島の老人ホームにいる。洋子おばちゃんも、ミサエおばちゃんも、敬三おっさまも、みんなそっちに来ただろう?

そうだ、オレが高校生のとき、だったと思う。もっとも、中学時代も高校時代も、ネズミ色一色でベタ塗りされているから、中学生だったのかもしれない。それに、その頃の一切合財をあまりに忘れようとし過ぎて、話の詳細はあやふやだし、そもそも、その話に詳細とやらがあったのかも、あやふやなんだ。
 おふくろ ―あんたの長女だ― と話していたとき、ひょんなことで、じいさんの話題が出たよ。若いときは人望もあり、島の助役であったのが、見事に嵌められて借金まみれになった上、職も失うことになったんだよな。

これも、それだけの話さ。あんたも、オレも、人間なんだもんな。

いま、その些細な話をふわり、と思い出す。何だか、オレのじいさんはやっぱそうでなくちゃ、と嬉しくなる。オレはじいさんの孫だ。

人を嵌めない、という穴をオレが掘り始めて、もう短くはない。目の前の深く薄暗い穴を眺め、しばしば茫然ともする。この穴は何なのだ、って。

オレは人を信頼するのがすごく下手だ。その癖に、目の前にいる人間の善意を疑うことができない。オレは誰の期待にも応えられない。その癖に、誰かの足を引っ張ることだけはしたくない、というより、そのことを過度に恐れている。

  I feel so broke up/ I want to go home.

じいさん、でも、すまん、オレは家には帰らない。懐かしいけど、きっとダメなんだ。

この先に何があるのか、もちろんオレはちっとも知らない。何も変わらないかもしれない。流され続けるかもしれない。

でも、何があっても、あんたが舐めてくれた辛酸の分だけ、オレは、変な言い方だけど、休まるんだよ。

 *

「スループ・ジョン・B」を歌うのは、言うまでもなく『僕』だ。じいさんは、決して歌わない。

理由は簡単だ、『僕』であったじいさんもまた、かつて彼のじいさんと旅をし、彼の「スループ・ジョン・B」を歌った。
”This is the worst trip” 
と、その澄んだ声で高らかに歌った。


その旅を終えようとしているじいさんに、もはや歌は不要だ。彼自身がひとつの長い長いtripなのだから。

だから、じいさんは歌わない。やがて清澄な、ひとつの歌になる。
” We come on the sloop John B/ My grandfather and me/ Around Nassau town we did roam…”

*

なあ、じいさん。
じいさんの話をすると、必ず母から出る一つ話があるんだ。覚えてるかしらん。

じいさんは、住んでいた島から年に一度、オレたち家族に会いに、内地に旅をした。
オレが2歳になる年、じいさんはオレを喜ばせようと、慣れないその町の商店街を何往復もして、やっとのことでおもちゃを買った。電池仕掛けでサルが太鼓とシンバルを叩くやつだ。

トントントン・トントントン・シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。

じいさん、あんたは幼いオレに、そのおもちゃを渡したんだよな。

トントントン・トントントン・シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。

オレは大泣きしたらしい。
あんたは当惑して、そのおもちゃをすぐに引っ込めた。

こんな話、もちろんオレは覚えちゃいない。ただ、海水浴のさざ波でも泣き、踏切でも腰を抜かして泣き、仔犬を見てさえ泣くような子供が、シンバルの音で泣いても何の不思議もない、とは思う。今でも、そうなんだ。

おふくろは、どうしていつもこの話ばかりしていたのだろう。ずっと不思議だった。

今のオレには、この話の何もかもが、隅々まで得心できる気がする。だけど、この気持ちを分析して記述する気は、まったく起きないよ。

ここには人間がすべて詰まっていて、思い出すたびに、切なくて暖かい。それだけで十分。このおもちゃをもらった、そのことだけでも、オレは世界一の果報者なのだ。

じいさん、本当に、ありがとう。

たぶん、いや絶対に、あのおもちゃはもう、どこにも無い。よしあったとしても、無くたって構わない。シンバルの音は、いつだって聞こえているよ。

トントントン・トントントン・シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。

*

『スループ・ジョン・B号に乗って来たんだ/じいさんとオレで/ナッソーの町あたり、ふらふらと2人でうろついてさ…』