ダンスのシンデレラ

この記事は、アイドルマスターシンデレラガールズのアイドルを
3分以内の音源で紹介する番組「第17回俺達の少女A」に
応募させていただいた原稿を、補足を交えて、まとめたものです。

番組の感想記事はこちら




シンデレラのコピー

シンデレラ。

「外から来る何者かが、何かすごい力で、
 自分の恵まれない人生を、劇的に変えてくれる」

というようなシンデレラ的願望は、人類に共通するものなのでしょう。
世界中のあらゆる文明で、同じ様な筋書きの民話が
語られています。日本にも、平安時代にはすでに、
類型譚が存在しています。(落窪物語)

シンデレラ類型譚には「国や時代ごとに自然発生したタイプ」「ひとつの大元から伝承されて枝分かれしたタイプ」の二種類があるようです。
(専門の研究家もいる分野で、諸説有ります)


さて、シンデレラガールズのモデルとなっている
おとぎばなし「灰被り姫・シンデレラ」のイメージモチーフは、
言うまでもなく「ディズニーアニメのシンデレラ」でしょう。
その原典をさかのぼっていくと、中世ヨーロッパの民話に行き着きます。
(紀元前にまで繋がる説もありますが、今回は省略します)


当初は庶民の間で語り継がれる素朴な昔話だったからか、
元々は、魔法使いも、カボチャの馬車も、
夜中の12時というタイムリミット
大時計などもありませんでした。

(こういうドラマチックな要素はほとんど、
 シャルル=ペローという人が脚色しました。
 ペロー版シンデレラは、宮廷のブルジョワお嬢様方向けに
 作られた、おしゃれでエモくて教訓にもなるエンタメで、
 ディズニー版シンデレラの元になりました)

最古の完全なシンデレラと呼ばれるバジーレ版や、
ペローよりも古い伝承の形を残していると言われている
グリム版のシンデレラでは、
ヒロインは自分自身の知識や魔力で精霊や野鳥たちと契約し、
召喚した輝くドレスや金銀の靴を身につけて、
「自分の脚で」舞踏会へ出向きます。

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12時になると魔法が解ける、
なんてタイムリミットはありませんが、
日が暮れてくると家事のために普通に帰宅

特にグリム版シンデレラは、非常に運動能力が高く
アグレッシブでたくましいのが特長です。
追いかけてくる王子をガチ脚力でぶっちぎり、
何故か斧を振り回して襲ってくる実父を、
木に登って避け、木から木へと飛び移って、
ダイナミック帰宅する様子まで、語られるのです。

こうした価値観を持つ時代(中世)の女性達の間で
語り継がれた伝承だということが伺えます。

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日頃から、灰とほこりにまみれた劣悪な環境に置かれ、
重くて固い木の靴を履かされて、朝起きてから夜寝るまで、
料理洗濯水くみに掃除、いやがらせの豆拾い。

そんな過酷な毎日が、
シンデレラの肉体をたくましく鍛え上げていたのでしょう。


そして!、ダンス…!

ドレスや靴は魔法で作られたものだけれど、ダンスだけは。
シンデレラが舞踏会で披露したダンスだけは、魔法じゃない、
消えることのない、シンデレラ自身が育んだ力
です。

当時は、宮廷舞踏を完璧に踊れることはすなわち、
出自や身分の証明でもありました。

自分は、王の舞踏会(グラン・バル)にふさわしい存在だと。

当時の宮廷舞踏はみんなで一斉に踊るのではなく、
一組(2人)ずつ順番に、王の前で踊るもので、
ステップも一朝一夕に身につくようなものではなかったのです。

きらびやかなドレスだけでも、
美しい容姿だけでも、足りなかったのです。


「着ていく服もないし、そもそもお前は踊れないだろう」

グリム版シンデレラでは、お城に行きたいと言うシンデレラに対し、
継母が何度も何度も言います。

「服があったとしても、やっぱりお前は踊れないだろう。
 そんな恥さらしを連れて行くわけにはいかないね」


しかし。
いいえ。
シンデレラは、ずっと踊っていました。

幸福な家庭に生まれ育ち、挫折を経験し、一度は夢を失いかけて、
灰にまみれても、シンデレラは、決して踊ることを、
ステップを忘れなかった。

それはただ、踊る事が大好きだったからかもしれません。
とにかく、踊り続けていたのです。
そして証明して見せたのです。

魔法の力じゃない、自分自身の力で。
自分自身の所在を。魂を。ダンスを。

ぼくが大好きな、
シンデレラのおはなし。

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余談

元々のシンデレラの話では王子もたくましく、シンデレラに脚力で負けると見るや、翌日には階段に接着剤を仕掛けるという作戦で、シンデレラの靴を、脱がすことに成功します。
そしてその靴を持って、自ら家々を回って、靴の持ち主であるシンデレラを探すのです。とてもアグレッシブ。

最古のシンデレラと言われる、バジーレ版の王子などは特に有能で、ボロボロの服のゼゾッラ(シンデレラ)を見つけた瞬間、靴をはかせるまでもなく「王子は、目の前の乙女が自分の探していた姫であることを一目見て確信し」ます。靴いらんやんけ。

このアグレッシブさは、アイドルをスカウトするプロデューサーにも、通じるものがあるのではないでしょうか?

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もうひとつ余談。

ペロー版シンデレラの脚色が強い理由。

ペロー童話は、読者対象が、宮廷の華やかな子女達向け。
グリム童話は、中流以上の市民層の子供向け。

グリムは学者なので、元々の伝承の形をできるだけ残す、という観点も重要視しましたが、ペローは詩人なので、物語性・テーマ性重視。

ペロー版「赤ずきん」など顕著で、赤ずきんが狼に食べられて終わる、という悲惨なエンドになってます。なんでかという理由も、後書き的に、「教訓」としてわざわざ書いてます。

「さてこのように、子ども達、特に、
 美しくて若くて可愛い女の子は、
 軽々しく人を信じるとひどい目にあいます。
 しかも、ひとくちに狼といっても色々なやつがおり、
 ものしずかで、やさしげな狼こそ、
 娘の家や、寝床まであがりこんでしまう、
 あらゆる狼の中でいちばん危険なやつなのです」
(要約)

直球すぎる。解釈の余地を残しなよ。

ちなみにペロー本人も別のところでは、

どの話も道理にかなった教訓があるだけではなく、
読み手の読解力によってさらに深い教訓があきらかになる。
これらの民話は、庶民たちの思いをありありと伝えています。

と記していたりもします。
ブルジョワのお坊ちゃんとして生まれ、弁護士をやったり、
高級官僚をやったり、ルイ14世のお仕え詩家だったり、
古い時代の芸術こそ最高、という価値観の時代に、
いや今の時代こそ最高だと主張して大論争を巻き起こしたり、
色々な意味で先進的な人だったみたいです。


私はやっぱり、自分から道を切り開いていく、強くてたくましい、バジーレ版やグリム版シンデレラが好きです。

グリム童話版はグリム童話版で、50年くらいかけて7回もリニューアルされているので、実は7種類の、ストーリーの違うグリム版シンデレラがあります。
書籍やネットで「本当は怖い」みたいな刺激的な紹介のされることの多いグリム版シンデレラですが、そういう残酷要素は、後期の版で付け加えられた脚色(子供への教訓要素:悪い事をしたらそれに見合ったひどい罰が下る)であったりするとかしないとか。
個人的には、少なくとも、グリム版の初版~2版あたりのシンデレラは、残酷描写よりもとにかく女性のたくましさを感じました。
シンデレラもですが、姉たちも、幸せを掴むために、足の親指やかかとを自分で切り落としてゴリ押しで靴をはくくらいなので。
ものすごい根性と執念ですよ。

シンデレラに関しては、またそのうち、機会をあらためてまとめてみたいと思います。

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