綾瀬穂乃香が夢の古城でバレエアイドルに会うお話。

画像2


いつからだろう。
あんなに好きだったバレエを…
踊ることを、「楽しい」と思えなくなったのは。

先生に相談したら、そんなことで悩む必要はない、
穂乃香は今のままでいい、
その調子で励めば、何も問題はないとおっしゃった。

先生の言葉は、正しいのだろう。
先日、先生の指導に従って出場した国際コンクールでも、
上位入賞することができたのだから。

その時得られた、ドイツのバレエ学校への留学…
スカラシップ権は、先生がいつものように必要ないと言われたので、
辞退したけれど。

海外で、バレエの勉強をしたいという気持ちがないと言えば嘘になる。
今までと違った環境に身を置けば、
バレエへの気持ちを切り替えるきっかけになるかもしれないから。

けれど、実際、私に留学は無理だろう。
私の先生の指導は、今のバレエ教育の主流とは随分違うらしいから。

私には、コンテンポラリーや他のダンス経験はない。
踊ることができるのは、ただ、クラシックだけだ。

先生は、それでいいのだと言う。
無軌道な自由よりも、型の中で追求する美。
古典(クラシック)こそが、舞踏表現の至上であるのだから、
モダンもコンテも私の生徒には必要無い、と。

大丈夫、輝かしい道……プリマへと、
あなたは着実に進んでいるのだ、と。

先生が言うのだから、そうなのだろう。

プリマ。
バレエ団のトップスター。エトワール。星。
どうして私はプリマになりたかったのだろう。

それすらも、分からなくなってしまった。

はっきり分かることは、
私は、今、私自身の踊りに、表現に満足できないということ。
自分の、理想通りに踊れない。
そもそも、その理想の形すらもよく分からなくなってしまっている。

どれだけ練習の量を増やし、集中し、質を高めようと、
その「飢え」が満たされる気配は一向に無い。

それはまるで、半身が砂に埋まりながら、
いつまでも終わりないフェッテを続けているようで。


バレエの演目に出てくる物語の人物たちには、
愛すべき友達や、信頼できる仲間たちがいる。
学校の、クラスメイトたちもそうだ。

でも、ずっとバレエだけに打ち込んできた私には、何も無い。
空っぽだ。
悩みを話せるような相手といえば、先生と家族だけ。

そして先生は、それでいい、と言う。

孤高。
表現に全てを捧げるその姿勢こそが、
理想の美を生むのだと。
クラシックは、その厳に定められた型によって、
幽玄神秘の天上や妖精達の世界を表現するものなのだから、
浮き世の繋がりや経験が、踊り手の糧になることはない。

綾瀬穂乃香、あなたはまさしく、
理想的なダンサー、表現者なのだ、と。

先生が言うのだから……
きっと……、やっぱりそうなのだろう。



とうとうある日、
先生のスタジオに向かう道の途中にある公園で、
私は足を止めてしまった。

練習を一日休めば取り戻すのに1週間かかる、と
先生からも先輩からも、
幼い頃から意識下に刻み込まれる程聞かされたから、
練習に行かない、という選択肢は私にはなかった。

けれど、ただ、少しだけ。
そう、少しだけ。
息抜きが。

……時間の猶予が、ほしかったのだ。


「はぁ…………」

公園の片隅にあるブランコに腰掛けて、
私は深くため息をつく。

最近は、トウシューズを履くことすら辛くなってしまった。
シューズを履いて、踊り出してさえしまえば、
あまり考えずにいられるのだけれど。

…………

……

ぼんやりと無心で、ゆら、ゆらとブランコに揺れていると、
いつの間にか眠気を覚えてしまっていて。
うと、うとと、まどろみの中に落ちていく。



それは、不思議な夢だった。

まるで絵本に出てくるようなお城のお庭に、私はいた。


穂乃香まとめのコピー4


そこには、日も暮れて夜のとばりが降りているというのに、
老若男女、たくさんの人が集まっていて、
私の知らない言語で語り合い、あるいは歓声を上げていた。

彼ら彼女らの集団の前には、屋外設営された舞台があって。
そこで4人の若い女性が歌ったり、踊ったりしているようだった。

その中の、一人の女性に目が止まる。
赤いナデシコの花飾りを身につけた、
私と同じ年頃の子…

やわらかい……とてもやわらかい笑顔で、
情熱的な愛のバラードを歌っている。
なんて楽しそうに舞台に立つのだろう。

私は目が離せない。

間奏に入ると、曲がアップテンポに変わり、
ナデシコの子は、張られた弦が解き放たれたように、
ヴァリエーション(ソロ)で踊り出した。

穂乃香ダンス3

美しい所作とアンドゥオール、
瞬時に私は、彼女がバレエ経験者だと理解する。
それもかなりの熟練者だろう。
ひとたびステップを踏めば、
鍛え上げられた体幹がひとめで分かる。

……けれど。

その、良く言えば開放的、情熱的な動きは、
悪く言えば全体的に勢い任せで、
ひとつひとつのパの精緻さに欠ける。

フェッテの軸足はぶれていたし、
パ・ドゥ・シャはまるで野良猫のジャンプだ。
高さと躍動感はあれど、野生的で不秩序、
クラシックの型からは逸脱している。

よく見ればその体つきも、標準よりは細身とはいえ、
全体的に丸みを帯び、胸回りなどは肉感的なほどで、
機能を追求して無駄な肉をそぎ落とすことに神経を削る
バレエダンサーのそれとは明らかに違う。


はっきり言って、バレエの踊り手としては、
私の方が、数段、上手だ。
仮にバレエのコンクールに出たとして、
彼女の踊りは、ろくに評価されないだろう。

彼女の表現は、バレエではない。


バレエでは……



バレエって、なんだろう。

そんな疑問が浮かんだ。
私は、彼女から目が、離せなかった。
あまりにも楽しそうに踊るから。

その時、どこからか小さな女の子が駆け寄ってきた。


画像5


「お姉さんも、バレエ、すきなの?」


私は、答えに詰まってしまった。
けれど、女の子はにっこりと笑った。


「やっぱり! えへへ、私もだいすき!
 大きくなったら、ぷりまになるの!」


そう言って、私は女の子に手を引っ張られ、
空いていた椅子に案内された。
私が腰を下ろすと、小さな彼女ははにかみながら、
私の膝の上にちょこんと乗って、

ひざ


「いっしょにみよ!
 あのお姉さんのバレエ、すてきだね」
「あれはバレエでは……」


思わず否定の言葉を口にしかけて、はたと止まる。

これが夢なのか幻なのかはよく分からないけれど、
私が今いる場所、ここは、
外国の…おそらくヨーロッパのどこかのお城で…

このお城が建った時代には、
私のよく知るクラシックバレエはなかったのだ。

バレエは元々は、踊りそのものを指す言葉で、
その原型は、イタリア名家の娘カトリーヌが、
フランス王家に嫁ぐときに、
たくさんのルネッサンス文化とともに伝えた、
彼女の故郷の民族舞踏だった。

それがフランス王宮文化と融合して生まれた総合芸術が、
宮廷バレエだ。

そして長い時を経て今は……
私の先生はお認めにならないけれど、本当は、
クラシックだけではない、
ロマン、モダン、ジャズ、コンテンポラリー……
様々なバレエが、舞踏の表現があるのだ。


だから。
あれはバレエではない、なんて私には、言えない。
あれはきっと、彼女のバレエ。
彼女の見つけた表現なのだから。


「……ええ。
 すてきな……そう、とてもすてきな、バレエですね」


どうして彼女は、
あんなに楽しそうに踊れるのだろう。

生き生きと、弾むように、
そしてどこまでもドゥオール(外へ向いて)で……

見ていると、思い出してしまう。

ああ、踊るのって、本当は、
それだけでとっても楽しいことなんだ……

膝の上の少女が呟く。

「私もあんなふうにおどれるようになりたいなっ」
「…………ええ。私も」

彼女の声に応じて、
無意識に自分の唇がつむいだ言葉。

ああ……

バレエは、
私が、「私がしたかったバレエ」は、
ほんとうはきっと――――

ひざ2


いつのまにか溢れていた涙が、視界をにじませる。
まばたきをすると、
たくさんのライトの輝きがにじんで、
星のように花のように咲き開いた。

まぶしくて、私は手で顔を覆う。

そのとき、風が吹いて。
風にまじって、誰かの声が聞こえた気がした。


「…泣くのはおやめ、過去の私。
 素敵な人が、必ず迎えにくるから」



 ―――――


はっ、と目を開く。
午後の公園。

少しまどろんでしまっていたらしい。
こんなことは今まで無かったのに。

なにか、夢を見ていた気がする。
頬が冷たい。泣いていたことに気付いて少し驚く。
慌ててハンカチで頬をぬぐい、時計を確認すると、
もうそろそろここを発たなければ
練習時間に間に合わなくなりそうだ。

「行かなくては……
 行かなくては……いけないのに……
 はぁ…………」

やっぱり気が重くて、深いため息をついてしまう。

そうしたら。

誰かの、私を心配する声がして。
私は、顔をあげた。






画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?