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⑨窮鼠はチーズの夢を見るーまなざしの描き方

『窮鼠はチーズの夢を見る』行定勲 3/5

”まなざし”の描き方が面白い。


冒頭、寿司屋で恭一を見つめる今ヶ瀬の目は、明らかに好きな人を見る目。主人公が自分がゲイかもしれないと意識する所から始まるのかと思っていたら、いきなりキスシーンで展開の早さにびっくり。


印象的やったのはアジア料理店で恭一、今ヶ瀬、恭一の元カノ、今ヶ瀬のセフレ(?)が食事をするシーン。台詞はないし、皆笑顔で表面上は楽しげなのに、視線の動きだけで4人の間に漂う恋愛がらみのぴりぴりした緊張感がびんびんに伝わってくる。誰が、誰を、どんな目で見ているか。それだけで感情が手に取るように分かってしまう。目は口程に物を言う、と言うけれどまさにその通り。


「好きすぎると自分の形が保てなくなっちゃうんですよ。」

「心底惚れるって、その人が全てにおいて例外になるってことです。」

惚れた人への視線って、かっこいいとか可愛いとかそういうのを突き抜けてその人を丸ごと包み込むような、存在を丸ごと慈しむような余裕とそれに相反する切ない焦りの両面を内包している気がする。『愛がなんだ』ではあんなにテルちゃんにつれなかった成田凌が、ここまで切実な表情をしていることが胸を打つ。以前、友人が「文化や社会の圧力で自覚していない人が多いだけで、人間の7割はバイセクシュアルらしい。」と言っていた。その言葉の意味がなんとなく分かった映画だった。性別が恋愛に占めるファクターって世の中で思われているほどには大きくないのかもしれない。


もう一つ、印象的なのが恭一が1人でゲイクラブに飲みに行くシーン。周囲から一斉に性的対象としてまなざされて、しかもいざとなれば自分は彼らより弱く抵抗する力がないっていう嫌悪感と恐怖。女性視点から描かれることが多かったこの感覚が、恭一を通して男性視点で表現されているのが画期的。性的にまなざすことが他者をどれだけ不快にさせ、恐れさせるか。これを見て自覚的になる人が増えるといいのに、と思う。

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