ボケて
子どもと大人の関係は、漫才のようだ。
透明なおにぎりを握る子ども。
頭だけ隠して隠れたつもりの子ども。
「見えねーし」
「尻見えてるし」
と、子どもの行動をボケと捉えてツッコミを入れる大人もいるけど、
これは野暮。
ツッコミはグッと飲み込み心で笑い、
口では大ボケをかましてみたい。
「このおにぎりうま!!あれ?なかから飴玉出てきた」
「こんなところにいちご畑が!
(と頭だけ隠れてる子の服の柄のいちごを食べる)おいしい〜!」
きっと子供の目は輝いて、
さらにやりがいのあるネタフリをしてくれる。
それを楽しむのがオツというもの。
子どもたちがノッてくるのは、きっとそれが正解の証で、
ツッコミ入れてしぼませるのは粋ではない。
年を取り、自然とボケていくのも、
もしかしたら、そんな役を自然と引き受けられるよう、
大人を導いてくれているのかもしれない。
大人はボケて ボケてこそ 子どもが冴えて 生きてくるかな
なんて、実際は余裕ない反応ばかりしてしまうけれど、
旦那が子どもを連れだしてくれてたりする瞬間は、
粋な大人でありたいなあ、と理想を想ったりする。
そんな、歯医者予約時間待ちの夕方。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。