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「経験のなせる技」をぶっこわす

何か属人的なスキルを伸ばそうとするときに、応用的な領域に踏み込むと、急に「経験が必要」だとか、「達人の技」だとか、「プロの勘」だの言いはじめるのにモヤモヤしてしまう。

自分は気分やバイオリズムの影響を受けやすいタチで、相当慣れた作業でも、自分の感覚だけを頼りに「経験者」にふさわしいアウトプットを自動的に生産できる気が全然しないからだ。

どんな仕事でも、どんな精神状態かもわからない「あしたの自分」という別人が、「なんでそうしたんですか?」と聞かれたときにちゃんと答えられる一貫したフレームがほしい。

結局最後は感覚で決めるとしても、その意識下で働いているのがなんなのか、知りたい。

秘密にしておいた方が、平和なこともある。安全なこともある。得することもある。

でも、どうしてもそういうものを自分のなかにみつけると、ぶっこわして日の目に晒したくなってしまう。

それで、そういうやっかいな性分にしてしまっているものの正体も、ぶっこわしてみてみたくなるんだなあ。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。