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遙かなる時空の中で2と、平安時代の裏表

和風乙女ゲームの金字塔、『遙かなる時空の中で』シリーズの名前を聞いたとき、大体の人が思い浮かべるパッケージは稼ぎ頭のエース、三女だろう。

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もしくは伝説の始まりたる長女か、

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優等生の末っ子かもしれない。

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その中で最初に次女を思い出す人はたぶん、トータルの中で多いほうではない。熱狂的なファンは多いし、Twitterで名前を出せばピコン!と反応をくれる人はたくさんいるんだけれど、それでも「乙女ゲームが好きな人」の中で見たときに多数派ではないだろうと思う。

ただ、「遙かなる時空の中で」という作品を論ずるにあたって、1と2を切り離して考えることは出来ないと思う。より正確に言うならば、「遙かなる時空の中で」は初代だけでは未完成で、2を経てやっと完成した世界観なのだ。1と2は全く異なるアプローチで、同じに見えながらも違う作品を作ろうという意図のもとで制作されているのに、世の中そのことをわかってない人が多すぎる!とわたしはいつも勝手に怒っている。そんなことを考えているのはたぶんわたしだけなのだが。

というわけで、初代遙かなる時空の中でと遙かなる時空の中で2に関するお気持ち長文を書いた。要約すると「初代遙かなる時空の中でと遙かなる時空の中で2はセットで完成品だから、つべこべ言わず両方やれや!」という話です。

※以下ネタバレを含むかもしれませんが、プレイするのに支障がない程度にとどめますのでよろしくお願いします。

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遙かなる時空の中で2にはいくつか特徴がある。

・平安末期の院政のまっぽーの世なので、暗い

・神子がひとりで異世界に行くので、序盤が大変

・ぶっちゃけ初見では初代とめちゃくちゃ似てる キャラデザ・声優・キャラ属性(武士、役人、遊び人、陰陽師、ショタ)

・ていうか登場人物も一部被ってる

初代から100年後の時代を描いているのだが、そのおかげでなんとなく「同じ平安時代なのになんか暗くて地味だし、主人公がめちゃくちゃひどい目に合うっていうし、そもそもキャラと声優が似てるんだったら展開も同じだろうし、爆遅ロードのPSPでしか出てないしやらなくていいよね(積みゲーの棚へ)」という人は多いと思う。というか若かりし頃のわたしはそうだった。

でもこれは大いなる勘違いで、2は初代の反省を踏まえつつまったく異なるテーマで制作されているのだ。

初代は主に天、地の四神間での対立が人間関係のメインであった。

反目しあう天の青龍の頼久と地の青龍天真、鬼を忌避する天の朱雀イノリと鬼に似た外見の地の朱雀詩紋。真面目な天の白虎鷹通と、不真面目な地の白虎友雅。優しい天の玄武永泉と、冷徹な地の玄武泰明。それぞれ異なった思想を抱いており、その違いによって対立する。

ストーリー自体も京を守る八葉VS京を破壊しようとする鬼の一族、といった対立がメイン。初代遙かにおけるテーマは、イデオロギー対立を異世界から来た神子である主人公がその力をもって解決する話だ。どちらにもそれぞれの正義がある。八葉の正義、鬼の一族の正義。

個人的な評価を述べるならば、ストーリーという面において、歴代遙かの中で、初代が際立つところはあまりない。異なる正義の対立、といってもその様相はいたってシンプルであり、敵と味方にははっきり分かれている上、神子が最終的に選ぶ答えも決まっている。天地間の対立は尺を取って多めに描かれているがゆえに燃えるものがあるが、それ以外の八葉間の親交はいたってフラット、というよりも描かれていない部分が多い。世界観に深みを与える龍の伝説、京に蔓延る怨霊、四神などといったファンタジー要素もさらりと説明されるに留まっており、それよりは迫害されてきた鬼の一族の幹部陣とどのようにわかりあうか、という部分に尺が割かれていると感じる。

これらのゲームで描かれていなかった部分、八葉の間の絆、主人公とのエピソード、怨霊を浄化することなどといった世界観を構成する他の要素は、主にコミカライズとアニメ、および設定資料集で描かれている。もちろんこれらの作品で補完されることはすばらしいとは思うけれど、ゲームはゲームで一作品なのであって、メディアミックス作品がゲーム本編の質を上げるわけではない。

では、初代遙かは凡作であるのか。それもまた違う。

初代を制作したスタッフ陣がおそらくもっとも注力したのだろうと思わせるところは、平安時代独特の「雅」を思わせる雰囲気作りだと思う。

一条戻り橋や東寺、朱雀門などこの世界の京と同じ街中を歩き回り、鵺や土蜘蛛といった怨霊を浄化する。菊花や梅香の香を集め、意中の相手の好みの香りを焚く。浅葱色や紫苑色の紙に桃や桜の花を添えて文を出す。物忌みの日は外出を控えて家で過ごす。章のタイトルに出る和歌、歩いてると遭遇するおじゃる貴族、イベントが起こるマップに入れなくてロードし直す方忌み。

平安時代を扱ったゲームは少ない。あっても頼光四天王を扱った戦記物などが多く(俺の屍を越えてゆけ)(百鬼討伐絵巻)、多くの人々が想像する源氏物語のような、平安時代の貴族たちが暮らしている日々を扱ったものはとても少ない(というか、ないんじゃないかなあ)。その中で、わたしたちが古典の時間に習ったような風雅な文化をゲームという仮想世界の中で作り上げようとしたのはおそらく遙かだけではないだろうか。わたしは京を走り回って花を集め香を集め紙を集め、うっかりその花を好みでない八葉と一緒に手に入れてしまってロードし直し、物忌み会話を何周もして回収するのが楽しかった。毎章の最初に出てくる和歌の写真を撮り、検索して意味を知るのが楽しかった。物腰柔らかく優雅な平安の貴族たちの話を聞いて恋をして、和歌を送られてうれしかった。初代製作チームのおそらく大きな目的の一つである「雅」の再現はすばらしく成功していたと思う。

でも、平安時代とは「雅」なだけの時代だっただろうか?

平安時代を象徴する文学たる「源氏物語」について紹介するとき、「和歌を詠み、恋をする、平安貴族たちの優雅な文化を描写している」とするならばそれは間違ってはいないけれど、完璧な説明とはならないと思う。

「貴族たちの恋、野望、嫉妬、思惑などの複雑な感情が絡み合う、人間関係を緻密に描いた愛憎劇」という文章を付け加えて、初めて完全な文章になるのではないだろうか。(もちろん、これでも完璧ではないかもしれないけれど)

初代遙かが平安時代の「表」、雅な雰囲気、王朝文化を表していたとするなら、遙か2は「裏」。内裏に、市井に、もしくはその外で生きる人々の思惑が因果の糸となって絡み合い、様々な出来事を生み出した側面を表しているのだとわたしは考える。

閉ざされていた初代とは違って、遙か2は最初のキャラクター造形の部分から人間関係が広がりを持つよう構築されている。

前作では何の関係もなかった天真とイノリだが、勝真とイサトは共に育った乳兄弟である。そして過去のとある事件からお互いにわだかまりがあり、それが各々の思想に繋がっている。勝真は幸鷹を職務の関係上敵視している。幸鷹と翡翠は本編開始前から因縁がある。幸鷹と泰継、彰紋と泉水はひそかな知られていないつながりがある。

コミカライズなどで展開された人間関係の広がりを受けて、遙か2では最初からこういった複雑に絡み合う人間関係を構築するべくキャラクターが作られていた。おそらく2主人公花梨が一人でトリップする羽目になったのは、こうした理由もあったのではないかと考える。つまり、八人のうち二人を全く縁もゆかりもない異世界から連れてくると、その分の人間関係が狭まってしまう。そのために全員現地の人々になる必要があり、そのあおりを受けて孤独トリップになってしまったのではなかろうか。(3ではご存知の通りこの問題をすごい力技で解決したし、4ではそういう問題ですらなかった)

そして、便宜上の敵となる鬼の一族、アクラム、シリン、黒龍の神子もまた違った形で登場させている。黒龍の神子は権力を握っている院のもとに存在し、院と帝との対立、内裏内の混乱に便乗する形でアクラムは内裏に食い込んでいる。そして初代とは違った目的のもとに何かをたくらみ、ひそかに暗躍している。(個人的に、2の方がアクラムがイキイキしている気がする。)権力の中枢の乱れが人々の様々な思惑を呼び起こし、様々な悲劇を生んだ。それが世の乱れの原因の一端を担い、末法思想が蔓延っている。

遙かなる時空の中でシリーズは和風乙女ゲームであると同時に、時代物乙女ゲームでもある。その側面が一番発揮されたのはおそらく3なのだけれど、その原点はここから始まっている。人々の思惑、人間の想いが因果の糸を形成し、それが複雑に絡み合うことによって時代という絢爛豪華な織物を作り上げるのだ。

3で源氏と平家が織りなす物語に感嘆したならば、2をプレイしない手はない。「源氏物語」が光源氏を起点として絵巻物のごとき人間模様を描いたように。ゲームを周回し、この世界に何が起こったのか、この世界の人々が何を思っているのかを知っていくうちに、プレイヤーは知ることになる。異世界の平安時代で生きる人々が描き出した、複雑ながらもドラマティックな物語のすべてを。遙か2は、初代とは全く違う観点から平安時代を描き、違う側面を切り取っているのだ。同じ声優で、同じような容姿に見えても、八葉たちが描き出す物語は全く違う。それを知らずに二番煎じと判断し、プレイしないで終わるのはもったいなさすぎてもったいないオバケがでる。わたしが出す。

そしてわたしはこうも考える。遙かなる時空の中では様々な異なる時代を切り取っている。源平合戦、古代、幕末、大正。その中で「平安時代」を描くのに、おそらく初代だけでは未完成だった。2を経たことで、遙かにおける平安はようやく完成したのだ。それは表と裏の関係に近い。限りなく近いようでいて、でも全く違う。どちらかを知ったのみでは不完全なのだと。黒龍だけでも、白龍だけでも京は救えない。両方プレイしないと意味がないのだ。最後に応龍を呼び出した花梨のように。

これを読んでいる人はたぶん遙か2が好きな人が大半だとは思うのだけれど、もし未プレイの人がいたならばぜひプレイしてほしい。複雑に絡み合った人間関係を解きほぐし、すべての因果が合わさったあとに、あなたはプレイ始めとは全く違う感想を抱いているだろうから。


※引用した画像の権利はすべてコーエーテクモゲームスに帰属します。




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