数字で現すことのできない価値

1.はじめに:NCGの一員としての抱負
 11月から2月の社内研修に入るまで、3回の研修と3回の課題提出がありました。このような過程を経て、私が得た気づきは、主に二つありました。第一に、ネオキャリア・グループ(以下、NCG)は、多様な形で社会と関わっており、また、その取り組み方として、モノゴトの数値化を大切にしていること。第二に、今日の世の中で生存するためには、他社との競合だけではなく、AIとも競争しなければならないということでした。
 そのため、私はこの気付きに基づいた上で、一緒に切磋琢磨しているNCGの仲間たちに、また、世の中に、数字で現すことのできない価値を提供したいのが、NCGの一員としての私の抱負になります。たしかに、NCGの3回の研修でも触れ続けてきたように、現代の世の中において数字で現す価値というのは、形容しがたいものであり、その価値を疎かにするつもりは、ございません。ただ、私は、NCGの一員として数字で表現できる領域以外の「他の領域」にも向き合って、NCGの仲間や社会にその価値を伝えていきたいのです。

2.たとえ話:数字で表すことのできない価値とは
 データ分析の調査方法には、定量調査と定性調査があります。普段からよく接しているアンケート調査とインタビュー調査が定量調査と定性調査の代表的な例として挙げられます。アンケート調査などの定量調査は、ある行動を行った頻度や自分が感じた感覚を数値化することで、データの収集後の分析に容易であり、サンプルが多くなるほど客観性を持ちます。一方、インタビュー調査が含まる定性調査は、人が感じた感情や意見をそのまま反映するため、客観性が落ちる傾向があり、分析にも容易ではありませんが、調査対象の考えをそのまま受け入れるため、その対象に限ってはより真実性を持ちます。
 上記で説明した調査のアプローチ方法の中で、敢えてどちらかを選ぶとするのでしたら、私は後者を選びたいです。無論、定量調査は、数字化しやすい特徴を持っていること、また、研究員の研究の構成や質問の的確さによって補える部分も確かにあります。しかし、多数のサンプルを取り、社会の平均値をとったとしても、そのサンプルの一つが「違うな…、そういうつもりではなかった」などになると、そのデータは、その一つのサンプルの回答者にとっては、当てはまらない、歪んだ情報になってしまうのです。そのため、私は、人々の気持ちや考え、意見をそのまま受け入れる定性的な考えを支持するのです。

3.おわりに
 現代の世の中において、モノゴトを数値化するということは、とても大事なことです。なぜならば、モノゴトを数値化することによって、我々人間は、モノゴトの存在を簡単に把握し、更にその判断は、容易に応用されたり、信頼を創出したりするためです。しかし、あるモノゴトに対して「把握」することと「知る」ことには、似ているが明らかに違いを持っています。また、似ているため、我々の頭の中でもよく困惑されます。
 現代の世の中は、マクロ的な思考に統べている傾向が強いと考えられます。そのため、数字化という都合の良い、道具の裏に隠されている価値は、よく捨てられがちです。故に、私はNCGの一員として、社会の数字化だけではなく、真実を求めていきたいです。真実を求めるには、世の中を数値化することより、手間がかかり、時間がかかるでしょう。しかし、数値から離れた世界には、人間として成し遂げられる課題と成長があり、ビジネスのブルーオーシャンがまだまだ存在しているはずです。このような想いを抱いて、私はNCGの一員として、また、一人の社会人として、世界にドカンとぶつかり、NCGの仲間や社会にもこの価値を伝えていきたいです。