My favorite things〜私のお気に入り〜SHOWA (4)音楽との出会い・自分史part2

 私のお気に入りは、映画と音楽。いずれも仕事もさせていただいた。映画は、現在に至るまで、宣伝、製作、物書きとこなして来たが、音楽業界からは20代後半で離れてしまった。

 伝説の(「ぴあ」が生まれた)TBSラジオ音楽資料室で、大学時代にバイトをした後、大学卒業後は、今でいうところのフリーターとしてプラプラしていたが、両親から「ちゃんと就職をしなさい」と諫められ、大学時代にバイトをしていた日本ヘラルド映画を訪ねてみた。正社員は無理でも、契約社員でも…と淡い期待を抱いていたのだか、バイト時代の上司から「難しいね。今は定員いっぱいだし…」とつれなく言われた。しかし「知り合いの雑誌編集長が、人探ししている」と言われ、映画雑誌ではないが、音楽雑誌だと言われたことで、TBSのバイト時代のことも蘇り「ぜひ、紹介してください!」と、頼み込んだ。

それが、小学館発行の「ザ・ミュージック」という雑誌だった。雑誌の編集は、下請けの編集プロダクションが当たっていて、社員としてこちらに入社してとのことだった。しかも、全くの編集ど素人であることから、1年間(79年の春迄)は見習い契約雇用とされた。それでも、音楽雑誌の編集部に入れることが嬉しかった。

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「ザ・ミュージック」誌は、洋楽記事を主体に、10代の男性音楽ファン向けに作られていた。従い、当時、人気のオリビア・ニュートン・ジョンなどの、アイドル系女性歌手の写真や記事。定番と言えるビートルズなどの特集がよく組まれていた。また、毎月発売されるレコード全種のカタログも雑誌の売りとしていた。今、読み返しても、よくこんなに活字を詰め込んだものだと、関心してしまう。朝一で鍵を開けて出勤すると、ソファに徹夜した編集部員が倒れるようにして眠っている光景は、日時茶飯事だった。それほど、過酷な編集労働だった。

私は、見習い編集者だったので、徹夜まではしなかったが、終電ギリギリまで仕事を手伝うことも多々あった。それでも、音楽雑誌ならでの、役得もあり、毎月、レコード会社から届けられる膨大な見本盤(試聴盤)が、月末に編集部員に、年功序列順にて、好きなモノを何枚でも取って良いと配られた。末席の私に回ってくるのは、残りものの無名アーティスト系ばかりだったが、それでも、この月末のボーナス?支給は嬉しかった。

この「ザ・ミュージック」誌は、1979年3月号をもって休刊となった。私が、見習い編集期間を終える1カ月前だった。会社からは、小学館の辞書編集の仕事があるので残らないか? と言われたが、過酷な編集作業を目にしていて、自分には編集の道に進むのは無理だと、会社を辞めた。この期間、音楽の知識を得る勉強が出来たと自分を慰めた。あと、副編集長をされていた、柳生すみまろさん(惜しくも2010年にご逝去された)は、ミュージカル映画評論の第一人者で、柳生さんからミュージカル映画の薫陶を受けたのも財産であると、思っている。

「ザ・ミュージック」休刊のあと、なけなしの退職手当を元手に、渡米を敢行。ロサンゼルス行きの往復チケットを入手し、現金は小切手に変え、ロサンゼルスとサンフランシスコの格安モーテルを転変としながら、アメリカに約1カ月滞在した。この時の、エピソードもいくつかあるのだが、それはまたの機会にて。

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渡米から戻って、横浜の実家に再寄生していたが、さすが心苦しくなり、仕事探しをすることに。「ザ・ミュージック」誌の編集部員に連絡したら、知り合いの雑誌編集プロダクションが人探しをしていると…それが「FMfan 」(共同通信社刊)の編集。早速、面接に行ったら、即採用となった。編集といっても、雑誌のメインであるFM放送の、内容(曲目)を原稿にしていく作業。編集のスキルもいらない。雑誌編集プロダクションといっても、会社は、六本木のマンションの一室。仕事場は、雑誌が印刷される大日本印刷の出張校正室と、共同通信社の編集部。

FM誌を知らない世代もいるかと思うので、少し書いておく。FM誌とは、FM放送される曲をエアチェック(要は、カセットテープなどに録音)するための、曲目案内(番組で流される曲目と曲順)をメインにした雑誌。当時、レコードは高価(今の物価だと5000円くらい)で、まだ、レンタルも無い時代、音楽ファンはFMから録音するしか音楽を気軽に手に出来なかった。この「FMfan」誌の他にも、最盛期は6誌も発行されていた。デジタル配信時代の今、エアチェックは過去の遺物となった。無論、FM誌も全て姿を消している。

そこで、思い出すエピソードがある。大日本印刷の出張校正室でのこと。共同通信社の社員編集者の方が「凄いモノを手に入れてきた!」と興奮して部屋に入ってきた。そして、バッグから取り出して見せたのが、ソニーの「ウォークマン1号機」(1979年7月発売)だった。

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思えば、音楽の聴き方、さらにビジネスまで、大きく変えたのが、この「ウォークマン」だった。やがて、レコードレンタルが普及してきて、FMで音楽を聴き録音する生活スタイルに変化が起きる。人々は、好きな音楽をレコードからテープに移し、それをいつでも好きな時に聴くようになる。FMラジオを持ち歩くこともエアチェックをすることもしなくなる…それがFM誌の休刊に繋がっていく。まさにこのウォークマンからFM誌の終焉が始まったと言えるのだが、印象的なエピソードとして記憶に残っている。

さて、このまま、音楽雑誌畑の編集に進むと自分でも思っていたのだが「人生。塞翁が馬」。知り合いの映画関係者から「映画宣伝の仕事があるのだけど…」と言われて、音楽雑誌畑からは身を引くことになる。

人生、パラレルワールド。あの日、あの時、ああしていれば…






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