My favorite things〜私のお気に入り〜SHOWA (10)ミュージカル映画 自分史Part4

  備忘録も兼ねての自分史で「私のお気に入り」として綴ってきた10回目は、ミュージカル映画について記したい。

 お気に入りのミュージカル映画は、第2回目の『サウンド・オブ・ミュージック』(この「私のお気に入り」のタイトルの元となっている曲が流れる)もその一つであるが、まだまだ好きな、というか私の人生にとって関わっているミュージカル映画がいくつもある。                                               その一つ目が『ザッツ・エンターテインメント(1974)』だ。この作品は、MGMミュージカルのいわば名場面集。ミュージカルといえば、MGMと言われていた黄金時代のミュージカル映画の名場面の数々が次から次へと紹介される。その映画試写会に当選し、勇んで観に行き驚き感動した。そのほとんどが観ていない映画(記憶をたどると、TV放映で観ていた『オズの魔法使い(1939)』くらいしか観ていなかった)ばかりであったが、スターたちの歌唱・ダンス、そして映画ならではの豪華絢爛なステージや衣装、音楽とすべてが、古い映画作品にもかかわらず新鮮にみえた。帰りがけにアンケートに記入したら、「こんなに楽しい映画は生まれて初めて!」と書いた一文が「試写会での反響」としての新聞広告に採用された。後に、この映画を配給した松竹富士映画の宣伝(アニメ映画『クラッシャージョウ(1983)』)を手掛けることになるのだが、不思議な縁を感じる。

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 また、この『ザッツ・エンターテインメント』の劇場公開初日(1975年3月21日・旧丸の内ピカデリー大劇場)には、当時、幹事の一人として参加させていただいていた「映画友の会(亡き淀川長治さん主宰)」のイベントとして「ザッツ・エンターテインメントを観て拍手をする会」が開催された。紹介される数々の名場面が終わるごとに、参加者全員(30名くらいの大人数であった)が拍手喝采をする。つられて、場内のお客さんたちからも拍手が巻き起こる。まるで、コンサート会場のようノリであったのを、今でも記憶する。実に楽しい映画鑑賞体験であった。コロナ渦のあと、また世の中の流れとして映画館から配信(自宅)に映画鑑賞形態が変化するなか、この劇場でお客さんが一体となる体験(最近では、応援上映がブームであるが)だけは出来ないと思う。

この『ザッツ・エンターテイメント』には、数多くのミュージカル・スターが出演しているが、やはり、この二人。フレッド・アステアとジーン・ケリー。二作目の『ザッツ・エンターテイメントPartⅡ(1975)』では、二人が案内役を務める。そして、二人の代表作は、ジーン・ケリーが『雨に歌えば(1952)』、フレッド・アステアが『バンド・ワゴン(1953)』と言われる。この2本は無論のこと、他のMGMミュージカル映画もなんとか観れないかと、名画座のスケジュールやTV放映をチェックしていたが、なかなか観る機会はなかった。                                                                        そして、その後、音楽雑誌編集部(先に記した「ザ・ミュージック」誌)に務めるが、雑誌休刊で、仕事を辞めて、スズメの涙の退職慰労金を元に渡米した…1979年の夏、その機会はやってきた。最初は、ロサンゼルスのハリウッド、チャイニーズ・シアターからもほど遠くない、モーテル(昔も今も、アメリカでは格安に泊まれる宿泊施設。日本のようなラブホではない)に3週間ほど滞在した。そして、モーテルのロビーにおいてあったロサンゼルス・タイムスの日曜版(劇場情報なども掲載されている)で、なんと!『バンド・ワゴン』と『雨に歌えば』の2本立てを上映している名画座の案内を発見したのだ。その時は、小躍りして喜んだ。モーテルの受付係をしていた日系人(日本語が通じて、これが大助かりだった)に、劇場の場所と行き方(バス利用)を詳しく教わった。そして、慣れないバスに乗り、地図を片手にその劇場を探した。今なら、GPS機能付きスマホで意図も容易にいけるのだが、苦労してたどり着いた覚えがある。

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 そして観た『バンド・ワゴン』と『雨に歌えば』の2本。英語には自信がなく、正直、セリフはほとんど聞き取れなかったが、そこはミュージカルのありがたいところで、歌唱シーン、ダンスシーンだけでも十分に楽しめた。さらに、日本の名画座と違って、新品の上映プリントであるかのごとく、雨降り(上映フィルムに傷がつき、雨のごとき筋がいくつも画面をよぎる)も一切ない、カラー画面の美しさにも魅入ってしまった。

 そして、このロサンゼルスの滞在で、もうひとつ、これ以上の感動が待ち受けていた。それは、あのユル・ブリンナーが自ら出演する『王様と私』が、このロザンゼルスで公演中であった。チケット完売で、無理かもしれないと思いながらモーテルの受付係に頼んでチケットの手配をお願いしたら、なんと! チケットを取ることが出来た!

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 映画の『王様と私(1956)』は、祖母に連れられて小学生の時に、名画座で観ている。祖母は、後で聞かされ知るのだが、ユル・ブリンナーの大ファンとのことで「セクシーだから」と言っていた。渡米の時、すでに祖母はこの世を去っていて、なんだか天国の祖母に導かれたとの思いがした。舞台に映画でみたユル・ブリンナーが登場した際に感動した覚えしか、今は記憶にないが、この時に購入したユル・ブリンナーの直筆サインが入れられたLP(ジャケット)は我が宝物となっている。

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 そのあと、ミュージカル映画の鑑賞は、ビデオの登場により、喝を癒すことが出来るようになった。『ザッツ・エンターテインメント』の中で観たかった映画もかなり(輸入ビデオ含めて)観れることが出来た。私は、音楽雑誌編集の後、映画宣伝の職につき、それこそ、趣味と仕事を一緒にしていた。しかし、諸事情が重なり映画宣伝の仕事を離れ、大学時代にアルバイトをしていた日本ヘラルド映画の上司から、上司が作った日本テレビへの人材派遣会社に来ないか、と呼ばれて転職した。これが、実はミュージカルとの縁にまた、繋がることとなるとは思わなかった。

 日本テレビへの人材派遣は、番組運航の仕事(日本テレビ制作の番組を地方テレビ局の東京支社に届け、それの管理をする)が主であったが、私はほどなくして、日本テレビインターナショナルという、日本テレビの報道でない、それ以外の製作などを行う海外拠点(ロサンゼルス、ニューヨーク、アムステルダムにそれぞれ拠点があった)の仕事に当たることになった。それは、アメリカやヨーロッパで製作されたTV番組、ビデオ作品などを、NHKや、当時出来たWOWOW、ビデオ会社に売り込むという仕事だった。

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 やり取りをしているなか、ニューヨークから「ブロードウェイのミュージカル舞台をビデオ収録したものがある。それを衛星放送に売って欲しい」との依頼が来た。作品は『イン・トゥ・ザ・ウッド』『スウィニー・トッド』『ピピン』(上写真)の3作品であった。『イン・トゥ・ザ・ウッド』『スウィニー・トッド』はNHK衛星放送で放映された。『ピピン』はWOWOWで放映され、その紹介文を私がWOWOWの情報誌にて書かさせていただいた。また、二度ほどニューヨーク出張した際、支局の隅井代表の計らいで、当時、入手困難と言われていた、ブロードウェイ舞台『オペラ座の怪人』『ミス・サイゴン』をかなり良い席で観ることも出来た。自慢話と化してきたかもしれないが、祖母からの影響で、映画好きになり、ミュージカル映画を観て、その魅力にはまり、それを仕事にすることが出来た。

 最後にもし、こんな拙文をネットで読む、奇特な若き人がいたら、ぜひ、私のお気に入りを早めに見つけてそれを追いかけることを、アドバイスしたい。何かしらの道はきっと、あなたの前に開ける。


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