My favorite things〜私のお気に入り〜SHOWA (7) フェデリコ・フェリーニ

 日本の映画監督で一番のお気に入りが黒澤明で、外国映画だとフェデリコ・フェリーニが私のお気に入りとなる。幻の映画『黒き死の仮面』での共作はされなかったが、両監督には共通したものがある。それは、二人ともに監督になる前、絵描きを目指していたということだ。黒澤明は画家として、フェリーニは漫画家として。であるから、両者の映画には、まさに「絵」となるシーンが多い。黒澤明に関してはすでに記したが、フェリーニの数多くの名画にも印象に残る場面が数多く登場する。『道(54)』の大道芸の場面、『甘い生活(59)』の吊り下げられたキリスト像、『81/2(63)』の最初の悪夢の場面、『サテリコン(69)』のミノタウロスの迷宮、『世にも怪奇な物語/悪魔の首飾り(67)』に登場する悪魔の少女、『フェリーニのアマルコルド(74)』の巨大船…いくつもの画面が頭を過る。

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 フェリーニの作品を封切り(ロードショー)で始めてみたのは『サテリコン』だ。とにかく衝撃的な映画だった。悪夢を見ているような、それでいて甘美な世界。見てはいけないものを見たような、禁断の果実をかじった気分。後に、師と仰ぐ淀川長治先生に『サテリコン』について尋ねた。すると「果物が熟して熟したとき。腐って落ちる前。でも実はこの時が一番おいしい。そんな映画ですよ」と一言で言われた。さすが、なるほどと納得した。

そのあと、大学時代に名画通いと、当時、よく開かれていた自主上映会でフェリーニ映画を追いかけた。思えば(上映)権利料の高いハリウッド映画と比べて、ヨーロッパ映画は権利料も安く、名画座や自主上映で上映しやすかったのだろう。イングマル・ベルイマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ルイ・マル、フランソワ・トリュフォー、ゴダール・・・芸術派と呼ばれる巨匠たちの特集が組まれ、その中にフェリーニも常時、位置していた。インテリ気取りの大学生にとって、こうした芸術映画を観ることが、ステイタス(自己満足?)を高める役割も果たしてくれた。なかでも、フェリーニの映画は難解だということで、より知的興味をそそられた。そして、難解映画NO1とされた『81/2』の上映では、手元にメモ帳をもって、画面を見ながら書き込みをしていた。『81/2』の難解さは、主人公・映画監督の現在と過去、そして夢・妄想が脈絡なくつながっていることだ。取ったメモを見ながら、これは過去? 妄想? であるかと、混乱した。今や、手元のDVDで繰り返して観ることも出来、現在、過去、これは妄想と区別は容易にできる。

フェリーニの映画は『81/2』のような難解なものばかりではない。初期の『青春群像(53)』『道』『カビリヤの夜(57)』など、実に分りやすく、主人公に感情移入もしやすい。なかでも『道』は何度観ても素晴らしく、歳を経て観るほど身に染みる(人生、あの時にこうしておけばよかったと誰もが思う感情に触れる)作品だ。さらに『道』は、そのあまりも有名なテーマ曲(フィギュア・スケートでも使われている)がいつまでも耳に残る。このテーマ曲を作曲したニーノ・ロータはフェリーニの大多数の作品を手掛け、ロータの曲がよりフェリーニ映画を極上のワインのごとき、芳醇な作品に仕上げている。

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フェリーニ映画の特徴は何だろう。『サテリコン』のポスターに描かれた多くの登場人物の顔が浮かんできた。フェリーニは俳優のオーディションをする際に「演技ではなく、顔立ちで選んだ」という。わき役など、無名の素人に近い役者を多く起用している。だから『道』に登場する食堂の女、修道院の修道女など、まるでドキュメンタリー映画に出てくる実在の人物のような存在感を見せている。これは、フェリーニが弟子としてついたロベルト・ロッセリーニ監督の演出に学んだことが大きいと思う。ロッセリーニ監督は、戦後のイタリア映画界にあって「ネオ・リアリズモ」と呼ばれるドキュメンタリー映画的な手法による劇映画をいくつも送りだした。であるから、フェリーニ映画は、晩年の夢想的な作品群でも、どこか登場人物たちの存在感がリアルに感じられる。

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 『フェリーニのアマルコルド(74)』は、フェリーニ後期の代表作品だが、町の人々が実在するかのようだ。因みにこの『アマルコルド』を観てジョゼッペ・トルナトーレ監督は『ニューシネマ・パラダイス』の発想(自伝的な生まれ故郷の話)を思いついたようだ。劇中に登場する映画館での悪ガキたちの描写、町にさ迷う狂人など、いくつか『アマルコルド』へのオマージュ(敬意)とみられるシーンもある。トルナトーレ監督は、フェリーニに最後の映写室の場面での映写技師役を依頼してフェリーニから「それは君がやりなさい」と断られている。そして、実際、自身が映写技師役を務めることになった(下写真)。

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もうひとつ、フェリーニ映画の特徴は聖女と巨女の登場だ。無垢な娘(『道』のジェルソミーナが代表的)と肉感的なグラマラスな女(文字通りの巨大女が登場する『ボッカチオ70/誘惑(62)』が代表的)が対照的に登場する。フェリーニは私生活でも『道』のジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナを細君とし、『ボッカチオ70~』の主役アニタ・エクバーグを愛人としていた。

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そして、フェリーニ映画全体を特徴ずけているのはサーカスのイーメージだ。『道』の大道芸に始まり、『81/2』のラストシーン、『魂のジュリエッタ(64)』でのサーカス団の描写、『道化師(70)』ではそのものずばりサーカスが題材となっている。『81/2』で、主人公の映画監督は「人生はお祭り(サーカス)だ。一緒に楽しもう」と言う。

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ここで、私のお気に入りでもあるサーカス、シルク・ド・ソレイユについても書きたくなったが、それはまた別の機会で。


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