体育嫌いは多いけど。

数学の難しい公式を社会に出て使う事がなくても、その基礎となっている基本的な算数は生活する上で必要なのと同じで
スポーツの基礎になっている基本的な身体操作性は生活する上で必ず必要な時が来る
例えば正しくしゃがめたら腰を痛めないとか、水に落ちても泳げれば溺れずに済むとか
そんな感じで、気づかないうちに使っているし役に立っている

日々の施術の中でも
ぎっくり腰からのリハビリで骨盤の前後傾をできるかとか
膝の治療で四頭筋(太腿の前の筋肉)に力が入るかどうかとか
そういった感覚がわかるかわからないかで大きな差が出ると感じる

そもそもリハビリを指導したくても、その感覚がわからなければまずそこから指導しなくてはいけない

出来る人からしたらそんなの誰でも出来るだろうと思うかもしれないけれど
実際、そんな当たり前にできるだろうと思うような事ができない人が意外と多い

そしてさらに問題なのは
それが「運動神経が悪い」の一言で片付けられていることだ

程度こそあれど本当は適切な時期に「身体教育」を十分に受けてきたかどうかの差なのに、生まれ持った能力のせいにされ放置される


本来「体育」とは「身体操作性を学ぶ事」のはずだ

自分の身体を思い通りに動かす事ができるようになる方法を学ぶ事。

スポーツがうまいかどうかとか、他人と比較して運動能力テストの点が高いかどうかで優劣をつけるものではない

もちろん、適性を判断したり発達の度合いの評価が必要な場合にはテストを実施する必要はある

漢字テストをして、点数が悪ければ漢字の勉強をするのと同じように
泳げなければ泳げるように練習をする、その確認や
反対に
数学が得意で数学の点数がずば抜けていれば、将来数学者になれる可能性があると言えるし
体育の点数が高ければスポーツ選手になれる適性があると言える

しかし、確かに現状の「体育」は点数の低い人をただ切り捨て自信を失わせている可能性はある

1+1は理屈がわかればできるようになる、世界地図でどこに日本があるか覚えればわかるようになる、ドの鍵盤を押せばドの音が出ることを知る
それと同じように、本来は続ければある程度誰でも最低限はできて、将来確実に役に立つ「身体の使い方」を学ぶものであるべきなのに、ただ一律に同じことをさせて、出来るかできないかで評価だけしている

そんなものが体育とは呼ばれるのは悲しいし
それでは体育嫌いが増えるのも当たり前だ

もう少し体育についてのが正しい認知が広がって欲しいと願うし
いま活動している部活動の現場では、今後微力ながらそういった部分にもアプローチもできたら良いと考えている


話を戻そう。
身体を痛めて接骨院に来る人を見ると、適切な時期に適切な身体教育がされていない人が多いと感じる

もちろん何歳からでも出来るようになることもあるし
治療者として最大限指導はするけれど
残念ながら
痛めてから、大人になってからの「体育」の学び直しには限度があってとても難しい。

(運動経験の適切な時期についてはまたの機会に)

是非とも
出来るだけ健康なうち、若いうち、お子さんを持つ親御さんなら子供には子供のうちに
可能な限り多くの運動経験と運動学習を積み、積ませて上げて欲しいなと思う

もしも学校の体育が嫌い(だった)なら、ただ歩くだけでも、鬼ごっこでも木登りでも石投げでも虫取りでも、家の中でテレビ体操でも、好きなyoutubeを見ながらダンスでも、WiiFitでも、自分の身体を使う事ならなんでも。

それが本来の身体教育で
いつか役に立つ時が、必ず来る


体育の事は嫌いでも、身体を動かす事は嫌いにならないでください



(全ての学校体育を批判する意図は無いので悪しからず)





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