見出し画像

6.アダルトチルドレンの子はアダルトチルドレン


これまで母との関係について綴ってきた。


この数か月、また目まぐるしかった。

4月半ば、父親からメールが来た。

姉の誕生日にメールを送るようにと命令する内容だ。

私は最近は使っていないドコモのメールが届いた音がするととても心が動揺する。

「あ、お父さんからかな…嫌だな…また何を命令してくるんだろう」

やはり今回も命令だったわけだが。


父は亭主関白タイプ、自分の言ったことは絶対。

娘を愛しているふりをしているが、娘の気持ちには興味がない。

「善意」をにおわせながら娘をコントロールしようとメールしてくるのが気持ちが悪い。

でも絶対に電話はしてこず、メールだ。

何か察知して怖いのかもしれない。


今回のメールでいつものように、心がギュッと締め付けられるように苦しくなった。

「ああ、どうしよう、どうしよう。いうとおりにしないと怒らせちゃうかも」

と不安に思っていた。

でも同時に「言いなりになるなんて真っ平!」とも思う。

散々迷って…

姉にはメールをしなかった。


そして5月になると母の日が来る。

やはり父からメールが来た。

「母の日には母さんにメールをするように。最近母さんは腰を痛めて病院に通っているよ」

うぜええええええええ!

感謝って人に言われてするもんじゃなかろうに。

子どもの頃にされた傷があまりにも深すぎて

感謝よりも不快感情の方が圧倒的に上回っている状態で

どうして感謝なんて伝えろと。

どうしてそんなこと言えるのか、とその無神経さに虫唾が走る。


それでも父に命令されると無意識に「いうことを聞かねば」と思っている私がいる。

それが嫌なのに、そう思って葛藤する。

言われたとおりにメールするか、しないか。

「嫌だ」とひと言だけのメールをしてやろうかと思った。

でも、面倒ごとはご免だ。

でも、言うとおりにメールを送ったら、私の心を自分で傷つけることになる、ということに気づいた。

散々迷って…

母にはメールをしなかった。

母の日の翌日はビクビクしていた。

叱責のメールが来るんじゃないかと思って。


なぜ私が一切連絡をよこさなくなったのか、その理由を知ろうとしないのか。

やはり父は私の気持ちには興味がない。

それで我が子を大切にしている気になっている。


というか、私の気持ちなんて子どもの頃から一度も聞かれたことがない。

指示されるだけ。

子どもの気持ちなんて聞く必要がないと思っている。


それから罪悪感を刺激するのも彼らの常套手段だ。

最後に会ったとき、「もう俺たちは何年も生きていないんだからな!」とか言われたっけ。

だから何。私だっていつ何があって死ぬのか分からないよ。

それはお互い様。

自分たちが自分たちの親にやり過ぎるほどやったように

つくしてつくしてつくしまくれとでも?

その結果、子どもをおざなりにしていたくせにねえ。


この春はそんなことが続いて、気持ちが激しく上下して疲弊した。

いつまでこんな感情を引きずるのか。

これは何なのか。

生きにくさの原因が分かっても、心が苦しい。

何とかしたい…

もういい加減、解放されたい、自由になりたい。

そこでまたいろいろ調べ始めた。

行きついたのは

アダルトチルドレン、という言葉だった。


簡易テストを見つけ次第全てやったが、私はかなりの高確率でアダルトチルドレンだった。

恥ずかしながら、「アダルトチルドレン」とは子供っぽい大人のことだとかって位に思っていたので

自分がアダルトチルドレンと分かって衝撃を受けた。

でも要因が分かれば手が打てる。

私は早速アダルトチルドレンについて調べることにした。

選んだ本はコレ。


筆者はスピリチュアルにもだいぶ傾倒している感じだが、

夢中になって読んだ。

読んでいて息が苦しくなるような事例が続くけれど、

自分の中に何十年とくすぶり続けていた疑問と満たされない思いが少しずつ氷解していき、

「私は悪くない」「私はよく頑張った」と自分にはっきり言ってあげることが出来た。

幼い自分をイメージの中で抱きしめた。

ついでに

母に叩かれながら叱責されているところに行き、

幼い子どもの自分を抱き上げ、救出するイメージをした。

「あなたは悪くない。大丈夫。」

そして母に

「なぜ我が子にこんな酷いことをするのか。あなたはおかしなことをしている!」

と母を叱責した。

これはとても気分が軽くなった。

そして、、、

新たな変化があったのだが。

親の生育状況に初めて思いを馳せるということをした。

あのような大人になったということは、

彼らも子ども時代に私と同じような状況だったのではないか。

異常にしか見えない親(私の祖父母)への執着。


祖母の骨を自宅に何年も置いて手放さない母。

祖父母が死んでも何年たっても遺産分けをせず、死を認めない父たち。


あれは認められたいという子どもの頃からの変わらない思いの発露ではなかったか。

彼らも、アダルトチルドレン。

その子どももアダルトチルドレン。

連鎖は私で止めねば。

私はやはり子供は絶対に持たない、と誓った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?