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5.”子どものプライバシー”の取り扱い~母親はテロリスト?

私の母は子どものプライバシーなど尊重しない人であった。

私は個室を与えられていたが、あまり意味がなかった。

私が隠した点数の悪いテストを探すために、一切断りなく全て漁られたからだ。

そのあら捜しは徹底的で、点数の悪いテストを探す途中で

母がずっと禁止している漫画やお絵描きが見つかる。

するとさらに怒られる。

我が家は母の独断で勉強の妨げになるという理由で、漫画が一切禁止だった。

小学生が読む漫画は今も昔もテーマは恋愛ものである。

私は少年漫画も好きだったが。聖闘士星矢とか(笑)


母の頭の中には

「我が子は恋愛のことなど知らない初心な純粋な子でなければならない」という思い込みでもあったかのようだ。

「聖闘士星矢」の漫画を発見された時は父に

「この子、こんなのを読んでいるのよ。信じられないわ」と呆れたように告げ口をした。

言われた父は困ったように顔をそむけた。

その様子を見た時、私はとてもとても、恥ずかしく辛かった。

今思い出すと、親が子どもの私物を断りなく漁るという行為は、子どもだった私に重大なメッセージを発していた。

子どもだった私に恥をかかせ、

「お前はプライバシーを持つことは許されない取るに足らない存在」

言葉を持たないメッセージが私の潜在意識に刷り込まれた。

言葉を持たないメッセージというのはイメージになって届くようで、非常に重いものである。

このプロセスで、子ども私の自己肯定感は著しく低下したと分かった。


母は子どもの私の好みを認めようとせず、好きなものを自分好みのものにしようとしていた。

今思えば、私は少女らしい面もありながら、少年のような活発で行動的な面の方が強かった。

しかし母は自分が好きなもの以外は認めなかった。

それは“本当の我が子”を認めないという事を意味していた。

子どもと親とは別の存在であるにも拘らず…

所有物のように思っていたのかもしれない。


母の思いを察知した子どもの私はどんどん自分を偽るようになり、

”いい子”を演じ始めた。

そして何事も母の許可を得ないと行動できない人間に育っていった。

母がいない時はそれに近い存在の許可を求めて、いつまでも行動できなかった。


ずっと誰かの許可を求めていたから、

私の人生は足踏み状態でなかなか始まらなかった。

そして本当の自分が分からなくなっていったのだった。

大人になって何が好きか、分からなくなって人生の迷子状態に。(そしてスピリチュアルにハマる…(笑))

プライバシーは気にならないという子もいると思う。

しかし、これはかなりデリケートな問題。

勘違いしている親が多いのだが、

子どものプライバシーを尊重する=何もかも子供の言いなりになる、ではない。

尊重しすぎると子どもが暴走して手が付けられなくなる、という例を教師時代にいくつも見た。

それを踏まえて、子どものプライバシーの取り扱いについて私が言えることは、

いかなる時も親が主導権を握っていなくてはいけないということ。

しかし、

主導権を持っていたとしても親は何をしても許されるということはない。


人には決して踏み込んではならない、犯してはならない領域がある。

大人がそうであるように、子どもにも隠したい部分があるのだ。

それは子どもにも当然の権利であると分かっていなくてはならない。


敏感な子や女の子は幼稚園前後で「プライバシー」という言葉を知らずとも、縄張りのような感覚は持ち始める。

誰だって縄張りを漁られるのは屈辱である。

何の断りもなく”縄張り”を漁る行為は”テロ”だといえる。

信頼関係にひびが入るし、敵対意識すら持つようになる。


我が子は親のものではない。

プライバシーの取り扱いを間違えると私のようにとんでもなく自己肯定感が下がるので要注意である。

最も信頼すべき親という存在にテロをされると、子どもの親に対する信頼も下がり、同じことをするようになる。

事実、姉は私の部屋をよく漁っていた。


私は幼いころから母を信じていなかった、と分かった。

”母を好き”というより、

いかに母の機嫌を損ねないか、という事ばかり気にして怯えながら大きくなったように思う。

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