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ボードゲーム理論

人生はボードゲームみたいなものだ、

と別サイトで以前に書いたことがあります。

ボードゲームであるならば、そこはあくまで遊び場であり、

本来の生活場所ではありません。

いずれは、ゲームを離れて、家に帰ることになるわけです。

ただ、ボードゲームに夢中になっていると、本来の自分の居場所を忘れてしまい、

「ボードゲームの世界がすべて」という錯覚が生まれてきます。

たとえば、ボードゲーム上で、

「いくら儲かった」「稼いだ」

「出世した=駒をすすめた」「目立った」

「緑のアパートと赤いホテルを手に入れた」

「美人と結婚できた(?)」

ということがあります。

でも、

それらのものは、

家に帰るときにすべて置いていかなければいけないんです。

お金もホテルも、ゲームのおもちゃなんでね。

そのことが分からずに、

「偉くなった」「成功した」

と自惚れることが、とても危険なんですね。

なんとなれば、その「自惚れた心」は、

家に持って帰ることができちゃうからです。

あるいは、

「人を騙しても金銭的・名声的に成功すればよい」

という心も家に持って帰ることになります。

ココがポイント。

つまり、「家に持って帰れるものは何か」

という視点で考えなければいけない。

その持って帰れるもののがどういうものであったか、

その質と量が本来の意味での判定ポイント(成功か失敗か)になってくるんです。

良い意味では、

ボードゲームで学んだスキルは持って帰ることができますね。

「緑のアパートと赤いホテルを買うと、定期収入を手に入れることができる。

そのために、まずは浪費を我慢して、貯蓄をすることが大事なんだ」

とか、

資産形成の極意を学んで持って帰ることができます。

学びは持って帰れる。

緑のアパートと赤いホテル自体は持って帰れないですけどね。

くどいですけど、おもちゃなんで。

ゆえに、ボードゲーム上だけのことで「成功した」「失敗した」

というのはあくまでお遊びの判定であり、

本当の判定は、何を家に持って帰ることができたか、

というところにあります。

これはもうお分かりだと思いますが、

僕らが今住んでいる物質界(マテリアル・ワールド)がボードゲーム、

そして帰るべき家が精神界(スピリチュアル・ワールド)のことなんです。

物質界で「成功した」と思っていても、

精神界(こちらが実はリアルワールド)に還ってみたら、

実は真っ逆さまだったってことがあり得るわけです。

この意味で、僕が見る限り、

たとえばネットビジネスであれ、情報発信であれ、

そこで「成功した」と自他共に認める人の中にも、

かなり危うい状態になっているケースがあります。

それは、家(=精神界)に持って帰るものが、本人の心しかないからです。

さきに書いた、「奢り」とか「騙し」。

それらを持って帰ってしまったら、

それが精神界での判定基準=成績表になってしまうからです。

こちらのほうが本来の成功論です。

ゆえに、僕らはあくまで、

帰るべき家(=精神界)の基準で考えなければいけない。

できるならば、ボードゲームをやっている最中にも、

ときおり、そのことを思い出したほうがいい。

そうしないと、持って帰ることができないものに執着し、

価値を見出し、逆に、持って帰るべきものに鈍感になってしまうからです。

「そんな、ボードゲームだなんて!」

と思う人もいらっしゃるかもしれません。

現に手に触れ、目に見えるものですからね。

でも。

こういうことは、スピリチュアルワールドを体感し、

あるいは信じている人間から見れば、ごくごく当たり前のことなんです。

ほんとに、「家から歩いて700m先にセブンイレブンがあるのよ」

くらいに当たり前のこと。

これを信じられるかどうかは、ひとつの賭けになります。

「自宅か賃貸か」、どちらにしても投資になってしまう、

という資産形成の理論がありますが、それと同じで。

信じようと信じまいと、それは賭けになってしまい、

結果的に賭けに外れた場合、大きな代償を払うことがあり得る、

ということですね。

さて、あなたが(僕が)いま家に帰るとして、

持って帰るものは何になるんでしょうか?

現時点ではどうでしょう?

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