日記 #13

23.7.5.

 気づけば春学期が終わりつつある。というよりは本来大学生活自体が終わるりつつあるのであって、留学さえなければ半年後にはもう社会人のはずだった。大学院には進まない。

 昼に通学し、授業を2コマ受ける。
 三限目は文学における「日常性」を考察していくもので、今日はパリの街に落ちたぼろ布について書かれたテクストを読んだ。パリでは道の汚れを落とすために水を大量にまいて流すことがある。その際に布が敷かれるのだが、水に押し出され皺くちゃになったそのぼろ布には都市の本質を読み出し得るのだと言う。というのも、ぼろ布は綺麗な都市の汚い部分を引き受け、その痕跡を襞として形に残しているのである。
 …正直ぴんと来なかった。なんとかコメントしてみたがあまり芯を食えていないようだった。毎回上手いことを言おうとして言えない。一学年下の後輩は理解している様子で、本居宣長と小林秀雄を引用しながら襞を言語になぞらえていた。比べるようなことではないけど、悔しい。コメントのたびに自分の実力不足を痛感する。文学部は実力の差がわかりづらいが、授業へのコメントでそれがかなり明確に露呈してしまう気がする。

 水曜夜はオンライン家庭教師。最近始めた。母親の同級生の息子が相手で、中学受験対策の国語。一題の文章をいっしょに丹念に精読していく。今日は梨屋アリエ『空色の地図』の抜粋だった。祖母の死を実感できないと生々しくも冷淡に独白していた少女が、祖母からの愛を知るに至って号泣する場面。小学五年生の教材にしてはいかつくないか。しかし多くの小学五年生はこのいかつさを文字通りの次元でも読み解くことができない。素朴な物語を読めないのである。それを読めるようにするために僕がいるわけだが。今日の授業を見た限りだとまだまだ先は長いが、それはそれとして小学生男子かわいい。

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