消極的遺書

短い自分の人生の振り返り

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呼び合う

ママはパパのことを名前で呼ばへんかったらしい 私が生まれるまでは〇〇ドクター(自分も苗字は〇〇になったくせに)、生まれた後はパパで離婚したら〇〇さん 初めて聞いた時、そら別れるやろと思った 自分の名前にコンプレックスがあるのもあって名前は所詮記号でしかない主義をとってるけど、相手を愛ある記号で呼ぶのとそうでないのとではかなり違うよな 今自分は周りの記号を愛をもって呼べてるのかな 考えて記号を読み上げていきたいな

    • ママ

      ママが大好きや 首根っこ掴んで外に放り出されそうな時でも、大皿いっぱいの苦手な食べ物食べ切るまで眠れま10させられてる時でも、何時間も何を言っても否定されて怒鳴られ続ける時も、外で頭叩かれる時でも、買い物行ったレシート見られて金没収された時でも、見た目貶された時でも、ママのポーチのコンドーム見た時でも、ママがデキ婚で私産んだって知った時でも、ママが私の受験より芸人のライブ優先した時でも、ママに怒られるから言えずに腹痛に耐えてる時でも、ストレスで爪噛んでどの指も血止まらんかった

      • 根幹

        ママが私を産んだのって当然、自分に生殖能力があるか確かめるためやしほんまはパパを引き止めるためやったかもしれへん 母のために生まれて母の思う通り生きてきたけど、常に反骨精神だけはあったから怒鳴られて叩かれても屈しなかった 奇形も色弱も痔も発達も遺伝したし、両親の不倫やらモラハラやら虐待やら暴力やら束縛やらで人生はめちゃくちゃやったけど、親が与えてくれた46本の染色体が作り出した誰からも遺伝してない反骨精神だけが私を強く育ててくれた、あとは牛乳 親が良くも悪くも与えてくれたもの