見出し画像

生きていても、そうじゃなくても

おはようございます、ねんねです。
先日活動2周年になり、たくさんの方からお祝いの言葉をかけて頂いて本当に嬉しかったです。ありがとう!
まだまだひよっこですが、自分が放つ声や言葉をもっと磨いていきたいです。よろしくお願いします。

Twitterでネガティブなことを呟かないよう気をつけているのですが、今回はちょっとだけ、最近思っていることをここに書きます。不安な気持ちとちゃんと向き合うために…。

◇◇◇

私は高校生の頃からSNS上に歌を投稿していました。
そこで出会ったネットの友達はみんな歌が上手くて、音楽の趣味も近い人が多くて、個性豊かで面白くて、とても居心地が良かったです。当時から今日まで、変わらず仲良くしてくれる人もいて本当にありがたいです。

その中のひとり、出会ってもう7〜8年になる友達ですが、昨年末から連絡が取れなくなってしまいました。

その人はいつも誰かを想って、誰かが辛い思いをするくらいなら、自分が辛い思いをした方がいい…なんてことを言う人でした。

わかっているのはその人が放つ言葉のニュアンスや声だけで、ネットだけの関わりしかなくて実際に会ったこともありません。通話をするときはいつも夜中〜朝になるまで…12時間くらい話すこともありました。

その人が持つ希死念慮はとても強いもので、黒くてジメジメしていて重たい何かがイヤホン越しに伝わることは毎度のことでした。そんな状況が続いていても、じゃあ今から君を助けに行くから待っていて!と言えるわけもなく。

SNSの更新で生存確認をするしかなかったし、連絡が唯一の繋がりだからこそ、それが途切れたらそれは居ないに等しい気がして。

「ここが本当に救いだった、居場所だった」と言ってくれていたのに、実際に私はその人の私生活に変化をもたらすようなアクションをかけることもできず、大好きな音楽を続けて、どんなにたくさん歌を歌っても「めっちゃよかったよ!」なんていつものように声をかけてくれることもなくて。

歌を本当に褒めてくれる人でした。素直な気持ちを相手に伝えるのが苦手だとか言ってたけど、そんなことなかった。いつも褒めてくれて本当に嬉しかった。

進路を決められなくてメンタルぼろぼろだった頃も、「できるできない、実現するしないは一旦置いておいて、本当にしたいことってある?」って親身に話を聞いてくれて、その時に歌はずっと続けたいって言ったら、「やりたいことちゃんとあるじゃん!」って笑ってくれて、胸の奥に隠していた気持ちを引き出してくれたこともありました。

自分のことより人のことばかり気にかけて、自分は大丈夫じゃないのに「最近大丈夫?」って声をかけてくれて。インターネットの友達とはいえ、リアルの友達と変わらないくらいに強い存在だったので、生きているのかどうか分からないのって本当に辛いなぁと。

連絡が途絶える前に1回通話したとき、なんとなくそういうことを仄めかす話をされて、そういうことを仄めかす文章をもらって、それでも本人が決めたことなら口出しはしないって決めていたけれど、いざ本当にそうなってしまったのではと思うと、胸がザワザワしてしまいます。私は何をしたら良かったんだろう。

ただ寄り添うだけでは、ただ話を聞くだけでは救えない命もあるんじゃないのって、やっぱりもっと強く引き止めたら良かったんじゃないのって、ずっと考えてしまいます。でもそんなのは余計なお世話だろうし、助け出したい気持ちは私のエゴで、その人にとって本当に良い結果になる保証はないし、私もそこまで責任は取れないと思うし…。

その人を本当に助けたかったけれど、これだと本当は自分が楽になりたい気持ちも浮き彫りになって情けなく思います。

それでも、きっとどこかで生きていると思って。
通話で何時間も笑ったり泣いたり怒られたりしたことも、今の私を形成するもののひとつで。

またイヤホン越しに私の歌を聴いてくれるように。
諦めかけた時に、私の歌を聴いて何度も何度も服の裾を引っ張られるような感覚になるように。
…と、そう思っています。

いつかケロッとした声で返事をくれますように。

そんなこんなで、歌い続けたい理由がまたひとつ増えたので、日々精進いたします。
これからもよろしくお願いいたします!

おわり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?