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再生する声

貴方は文章を読む時、自分の声で読んでいるか、
それとも相手の声で読んでいるか、それともなにも再生されていないだろうか

現代文を仲間内で解いているときに、仲間内で議論になったり、どこかしらのコラムでもちょくちょく見かける、文章をどう読むか問題(脳内)

私は、声を知っている人の文章なら、その人で再生されるし、知らない人だったら、想像上の声ができあがる

一方そのとき対立した友人は、文字を文字として認識しているだけだから、そんな現象起きないと言った

僕にとっては全く最初意味がわからなかった
意外と調べてみるとそういう人もいるというのを後から知った


僕は、自分の文章を書いているとき、自分の知ってる自分の声で再生されながら書いているが、私の他の人が聞く声で再生することはできない

だから、貴方が今私の声を再生して読んでくれていたとしても、それは少し実は違うものを共有しているのではないかと考えた
なんなら、私の友人派であれば、もはや他人の文章なのではとも



絵本や小説の朗読は、文字を通じて、その人の声に置き換わっていく

私は、小学生の頃児童クラブで過ごした、
夏休みの昼寝の時間に、ハリーポッターを読んでくれていた先生の声(というよりはあの時間雰囲気)が忘れられない

結局夏休み中には終わらなかったし、内容はなにも覚えていないけど、何かが記憶にはいるのだ

早く子供にたくさん読み聞かせをしてあげたいなぁ


文字を書いているそこの貴方の声はどんな声ですか

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