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5点の自分を愛していく

100点満点になりたい人生だった。

自分で言うのもおこがましいが、学力偏差値の高い大学に行き、就職偏差値の高い企業で働き、それなりの収入があり、それなりに見た目には気を遣っている。

去年までの私は相当いけ好かない女だったと思う。いわゆるバリキャリに分類される女にならなければと思っていた。

バリキャリにならなければ…というのはつまり、私は幸せな主婦にはなれないと悟ったということである。

あくまでも個人の考えだが、世間にはいろんな呪いがあって、30代で結婚していない女はせめてバリキャリであれ、という類の呪いもあると感じている。

去年私は8年間付き合い婚約までした男から振られた。振られたというより逃げられたと言う方が近い。

半同棲していた私の部屋から突然彼のものがなくなり、SNSはブロックされ、電話番号は変えられ、アカウント共有していたNetflixにはログインできなくなっていた。

後にわかったことは、彼は私よりだいぶ年下の女を妊娠させ、その女と結婚していたということ。合わせる顔がなかったと土下座をされた。顔はそこにあるやないかい。

土下座をする彼を醒めた目で見ていた。
あんなに一緒だった相手、自分の分身のように思っていた人をこんなに嫌いになれるんだと思った。

そんなこんなで私は一旦結婚を諦めた。
そして、世間から可哀想な女と思われないために必死で働かなければと思うようになった。

どんなに長くいたとしても、籍を入れていなければ旦那ではなく彼氏なわけで、離婚という家庭の事情ではなく、彼氏と別れたという個人的な事情だけで会社は休めなかった。

手を抜くことができない性分なゆえ過労死寸前まで自分を追い込み、今思えば幸か不幸か、それなりの評価を受けることができた。

仕事でそれなりに評価をされても私は何も満たされなかった。むしろ虚しさが残った。

私は友達が少ない。
元々少ないというより、どんどん減っていった。ライフステージが変わっていって話が合わなくなり、日常の些細な出来事を言える友達は自然といなくなっていった。

その分、彼にはなんでも話していた。
辛いことも悲しいことも嬉しいことも。
彼がいなくったことを一番痛感したのは、嬉しいことがあっても誰にも言えなくなった時だった。

仕事で評価されても、それを分かち合える人が私にはいなかった。そのことで、今まで100点を目指していた自分の頑張りが全く報われないことを悟ってしまった。

目標を失った私はごろんごろんと坂道を転げ落ち、色々と人生に迷い休職した。(そのときのこともまた後日書こうと思う)

休職中、散歩をひたすらしていた私はPodcastが友達になっていった。そして突然、5点ラジオという黄色いサムネイルがオススメに出てきた。

実は、いけ好かない女時代に5点ラジオには出会っていた。ただその頃の私は100点を目指していたので正直あまりピンと来ず、リピートをしなかったのだった。

「あーなんかこれ前聞いたやつだ…」と思いつつ、とりあえず聞いてみるかと5点ラジオのサムネをクリックした。

「生きることお疲れ様です」

冒頭の挨拶で自分が1番誰かにかけて欲しかった言葉をかけてもらった気がして、そこからはずっと泣いていた。お察しの通り休職中はとにかく涙脆い。

5点だから、という2人の言葉が自分を雁字搦めにしていた「100点であれ」という呪いをふっと溶かしていくのがわかった。

そこから私は貪るように5点ラジオの過去回を聞き、感想を呟きたいがためにあまり使っていなかったTwitterを頻繁に更新するようになった。

人生にはいろんなタイミングがあるんだなと思った。このタイミングで5点ラジオに出会わなければ今の私はないだろう。

今の私には友達がいる。
それだけで生きていけそうだ。

生きることお疲れ様ですの言葉を胸に、毎日必死に生きるのも悪くないなと思っている。

今日も5点なりに頑張るか。

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