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2ヶ月間「自分癒し活動」をしてみたら幸福度が上がった

私は、2ヶ月ほど前から「自分癒し活動」をしている。

具体的にどんな活動かというと、バイトの時間以外は、できるだけ自分のためだけに過ごす活動だ。時間もお金もエネルギーも、できるだけ自分のために使うのだ。

これまでは、バイト以外の時間は、いろんなことを考えていた。フリーでの活動についてや、今思い返せば、余計なことまで考えていた。(あくまでも、今思い返せば)

時間やお金、エネルギーも、いろんなところに使っていた。

結論からいうと、2ヶ月間「自分癒し活動」をしてみたら、幸福度が上がった。そして、以前より日々の生活が落ち着いた。大なり小なりの、浮き沈みはあるけれど、以前と比較すると落ち着いた。そして、笑顔が増えたと思う。

4月は、数回セラピーを受けた。パートナーと一緒に、大きな公園へ行ったり、潮干狩りをして、自然を感じた。ぶらりと一人で買い物へ行って、予算内で買いたい物を買った。ガーデニングを始めた。ネトフリで、アニメや映画を観た。買っていたのに読めずにいた、小説を読んだ。

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去年は、クローズ就労で働き始めた。
そして、ヨガの活動にエネルギーを注ぎ、病気の犬と、かなり高齢の猫の介護があった。

しかし、去年の12月、犬は亡くなり、今年1月には猫が亡くなった。
去年1年間通ったヨガ教室は卒業し、バイト以外に、私を強制的に動かすものがなくなった。

犬と猫が亡くなり、独身で子なしの私は、お世話をする存在がいなくなり、自由な時間が増えた。

だから、ヨガインストラクターとしての活動など、フリーでの活動を本格的に頑張ろうと、時間もお金もエネルギーも、そこへ注ぎ込んだ。

けれど、ほんとうはキャパオーバーで、私は赤信号を出していた。

しばらく私は、信号無視するかのように進んでいったが、ある日、止まった。

初めて自分の心身からくる体調不良で、バイトを休んでしまったのだ。

そのことが決定打となり、私は、バイト以外の活動をやめることにした。ずっと迷いがありながら進んでいたけれど、このとき、止まる決断ができた。

身体がしっかりと、SOSを出してくれたし、私自身、そのSOSを見逃さなかった。

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そこから徐々に始まった「自分癒し活動」。

自分で自分が疲れ切っているのはわかっていた。でも、「自分癒し活動」を、何がきっかけで始めたのかは、よく思い出せない。本能的に自然と、自分を回復させようとしたのかもしれない。

「自分癒し活動」をした先にあるものが、特にイメージできていたわけでもない。

それでもなぜか私は、いつのまにか、自分が楽しいと感じることや心地いいことをやり始め、2ヶ月ほど続けてきた。

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始めて1ヶ月ほどで、だいぶ変化があった。

決まった曜日、決まった時間にバイトへ行く。
その繰り返し。『ただそれだけでいい』という安心感と安定感。

『変化しなくてもいい』と思えるようになったことが、私にとって変化したことだった。

ずっとずっと、いつも私は、私に対して、変化することを求めてきた。

私にとっては、それが当たり前のように日々のなかにあって、常に、変わるためにできることを考えていた。家でも、どこでも、ずっと。

でも今は違う。

今はとりあえず、しばらくは今のペースで働ければいい。そんな日々を繰り返していけばいい。そう強く体感し、腑に落ちたとき、心の底から、安心感が湧き上がってきて、心が安定した。

人生で初めての感覚だった。

しばらくは、今の私でいい。
変わらなくていい。

そのことで、こんなに心が平和になるとは。常に変化が必要で、変化するために必死で考えて、行動してきた私は知らなかった。

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そして今月。5月は、生活リズムを整えることを、優先事項に加えた。

5月に入ってすぐ、予約していた精神科の診察を受けたとき、主治医が、生活リズム改善の必要性を、強く伝えてくれた。

それまでは、バイトに休まず出勤することが、第一優先事項だったので、それ以外のタイムスケジュールはぐちゃぐちゃだったのだ。

バイトは遅番なので、アラームをセットする必要がなく、寝たいだけ寝て、自然と起きられる時間に起きていた。

その影響で、完全に昼夜逆転していたし、寝付く時間や起きる時間がバラバラで、睡眠時間も日によって極端に差があった。

私自身も、これはまずいと思っていたが、どうすることもできなかった。いや、どうすることもできないと決めつけていた。

そんなとき、主治医からもらった言葉で、意を決した。

「一人で生きていくなら、何時に寝て何時に起きても問題ないです。でも彼は、そんな生活リズムで生きていないですよね?一緒に生きていきたいなら、今のままじゃダメです」というようなことを言ってくれたのだ。

ただ、そのときの私は「バイトに休まず行くには、寝たいだけ寝ないと無理だ」「私が私の意思で生活リズムを整えるなんて無理だ」と思い込んでいたので、主治医の言葉が残酷に感じ、絶望した。

でも、思い返してみれば、その日は通院のために、いつもより早い時間に起きられていた。重い眼をこじ開けて、眠気を突破できていた。

そう。私は、起きようと思えば起きられるのだ。と気づいた。

それから毎日、同じ時間にアラームをセットして、どんなに眠気があっても、眼をこじ開けて、根性で起きた。

いきなり大きな変化はできない。過去に、極端に早寝早起きをしようとして、失敗している。ダイエットと同じで、無理なやり方ではリバウンドするので、あくまでも私にとって無理がないであろう時間にアラームをセットした。

最初は「根性なんかで起きられるなら、とっくに起きてるわ」と思ったけれど、心の底から何かを変えたいと思ったとき、人は根性というものの力を発揮するのかもしれない。あくまでも、自分が許容できる範囲での話だけど。

私は、実家を出て自立して、結婚して、子どもを産んで、家族3人で暮らしたい。それが私の望みなのだ。その望みを叶えるためなら、根性が湧いてくる。あくまでも、私ができる範囲でだけど。

最初は、ちゃんと起きられない日もあって、自己嫌悪に陥った。

けれど、そのおかげで習慣化について学び、習慣化するまでには、一歩進んで二歩下がるような日もあることを知ったし、ほんとうにほんとうに小さなステップ (スモールステップ) を積み重ねていくことで変化していくのだとわかった。

だから、できなかった日があっても、自分を責めなくなった。それでも、やっぱり、予定通りできた日は、とても嬉しかった。

だいぶ起きる時間が固定されてきて、自信がついてきた。いきなり変えようとするのではなく、まずは確実にできる範囲のことを継続してできるようになることで、自分に自信がつく。

そこまできたら、またほんの少しだけ起きる時間を早めてみる。たとえば、10分だけ早めてみるとか。

まだ、今の起床時間に固定してから1ヶ月なので、起床時間は変えずに継続しているが、生活リズムとしては、たいぶ整ってきた。

以前は、一日2食しか食べていなくて、寝る前にお腹が空き、夜中、キッチンにあるものを食べてしまっていたが、今は一日3食を決まった時間に食べられるようになった。

それだけでも、私にとっては、かなり改善したことだ。

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そんな感じで、5月は生活リズムの改善を優先しつつ、バイトは休まず行き、それ以外の時間は、時間もお金もエネルギーも、自分のために使った。

GWには、ハーブ園へ行って、夏に強いらしい花の苗を買って庭に植えたり、ハーブティーを買って、毎日飲むようになった。

ハーブ園で買ったハーブティーは、ティーバッグではない。粉末ではなく、乾燥した花や実、葉っぱがそのままの形としてあるもの。

お湯を注ぐと、乾燥して縮んでいた花や実、葉っぱが、ほゎっと広がる。

それを飲み始めてから、ティーバッグのハーブティーとの違いに気づいた。ハーブ園で買ったハーブティーは、風味が心地よい。「もうティーバッグのものは飲めない」というくらい違う。

リラックス効果があったり、血流がよくなるなど、ハーブティーは心身にとてもいい。(もし「飲んでみたい」と思ってくださった方は、妊娠中など、飲んではいけない場合もあるので、よく調べてから飲んでね)


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こうして私は、この2ヶ月ほどで、だいぶ回復してきた。そんななか、改めて気づいたことは、大切にしていた犬と猫が亡くなったことが、自分が思っていたよりも辛かったのだということ。

特に犬との別れは、私に、とてもとても大きな影響を与えていた。亡くなってから、もうすぐ半年経つが、たびたび涙が溢れてくる。

猫の方は、かなり長生きしてくれたこともあってか、今ではだいぶ落ち着いた。

また、大好きだったあの子に会いたい。

犬と猫がいたときの私は、愛でいっぱいだったなと思った。たくさん愛を注いだし、たくさんの愛おしさをもらった。

そんな存在がいなくなったのだ。そりゃあ、思ったより頑張れなくて当然だったなと思う。

だけど、先月『汝、星のごとく』という小説を読み、今月は、その続編である小説『星を編む』を読んだことで、犬の死に対する捉え方が少し変わった。“犬の” というよりは、生と死に対する感覚が、ちょっと変わった。

『汝、星のごとく』は、2023年に本屋大賞を受賞した小説で、少し前に実写映画化した『流浪の月』(2020年の本屋大賞) の原作者、凪良ゆうさんの小説である。

先月、今月と、じっくり小説を読むことができて、感じたことがあった。

『汝、星のごとく』は、読んでみて、けっこう重い感覚があり、続編である『星に編む』は、読もうかどうか少し迷ったけれど、だいぶ前から本屋さんで見かけた装丁に惹かれていたので買った。

結果、読んでよかった。

また機会があれば、この小説について、別の記事で書きたい。

人はきっと強くはない。なにかを支えにして生きている。私の場合、犬と猫が大きな支えだった。

けれど、その存在がいなくなって、自分と向き合う時間ができた。自分が自分を支えにする時間。

それは、精神的な自立につながり、私をほんの少しだけ、強くしてくれるような気がする。


ねねこ

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