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苦しかった時期の子供の写真が見られない

子供が生まれたばかりの頃や、保育園の頃の写真は見られるんです。やはり、いじめが始まり、子供の表情が曇りだした頃の写真は見られない。小学校、中学校、高校の写真は見られないのです。そもそも、中学校、高校で撮った写真なんて、数枚。それも無表情なんじゃないかな…
小学校の頃は、いじめられる時間があっても、イキイキしていた時間もあったんです。つらくて表情が曇る時もあったけど、エネルギーはあった。子供いわく、「オレはまだ大丈夫な方だった。いじめられても、言い返せる方だったから。言い返せない人はかわいそうだった。」と大人になってから、言ったことがある。それは、ホントにそうなんやろう…きっと、大丈夫な部分はあった。
母の私がもっと強くいて、どーんと支えてあげればよかったと思ってる。当時は、分かっていながらも、それが出来なかったけど、私がもっと強くいられたら(強くというのは、精神的にまいらないということ)、多分大丈夫やったんやないかな。その程度やったのかもしれないとも思う…私は随分まいってた。支えがなかったもんな。夫は分かってくれようとしたけど、忙しすぎた。一人ぼっちやったわ。
今から思うと、地域の居場所に行けば良かったな。友達がいない、理解してくれる人がいない点に固執した。地域の居場所に行けば、分かってくれる人は世の中にいるんだなと知れたかもしれない。その頃の私は、そういった居場所に偏見があったのかもしれない。知らなかったという原因もある。今は居場所で温かい言葉をかけられた経験があって、その温かさを知っている。温かい言葉や、本気で他人の気持ちに寄り添いたいという気持ちをもっている人がいるんだと知れたことは、私の生きる上での基盤になっている。人は人の言葉に支えられて、生きているんだね。温かい気持ちになれるんやね。安心できるんやね。

暗闇を抜け出すのに、子供の小学校、中学校、高校と12年もかかった。遠回りして遠回りして、やっと、うちの中が温かく、家族が安心してて生活できるようになった。家族みんなが仲がいい。幸せ。

ただ、まだ、写真は見られない。見られなくてもいいや、まだ。

きっと、いつか見られるかな。

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