めんたねさん思想にとって「必要なパターナリズムを取らずに、課題を放棄することこそが 課題の分離であるぅ!」「人殺しやレイプやいじめや勉強したくない欲求を 規制しようとする 道徳や倫理規範こそが悪であり、課題の分離のできていない 押しつけ行動なのであるぅ! パターナリズム介入をしない、犯罪の自由の規制や口出しをしないことこそが めんたね理解流においては 真の課題の分離なのであるぅ!それによって いじめはしていい!平和になるのであるぅ!課題の分離とはいじめ正当化のための便利な道具や手段であるぅ!」ということ?

https://note.com/nen_no_tame/n/na5943e2c126e  ここ の 前後にも いろいろ 考察をつぶやいたのですが、ここで あたまでっかちの タイトルにまとめると、こうなりそう。

でもここで、書いてみて思ったのが、不要で過剰なパターナリズムというか、うるさい口出しやいわゆる過干渉や過介入を、親や周囲は、しないでくれよと。そうして放置して任せてくれてこそ、かえって勉強はするかもしれないし、あるいは、犯罪行為とされるものをしたいと思っても きちんと自律できるようになるものなのだよ。

というのは ありそうな気がするので

そのように補足を書いてしまうと

別に あながちまちがいではない

危険思想でもなんでもないような気がしてきました。いちいちうるさいなぁ!ほうっておいてよ。というのは、あるかもしれない。その場合はこれだ、必要な介入ではない、求めてないからいらないよという表明が あるかもしれないであろうパターンであって、

タイトルのところに書いた 必要なパターナリズム ではなく 余計で不要だと 本人が申し出ているような うるさい口出し介入 逆にやりたくなくなるほどの 介入であった ということにはなりそうだけど

でもやっぱり

課題の分離とは の説明のところで、

医者や家庭教師の先生が  委託されているかもしれないそれを 怠ることを 課題の分離なのであるぅ! 介入の必要などない! みたいに 言っちゃってるように見えるんだけど。自分の見え方がおかしいのかなぁ。

仕事として委託されてたら 適切な介入指導をしなければならないのでは わからないけど。あるいは 心理学を利用して 「そのままでもいいんですよ」とあえていうだけにするだけのやり方とかもありそうではあるけど。介入をあきらめるのとは違う気がする。

そして、めんたね界隈が 悪用したのは その課題の分離の悪用なのでは?

なんか その 「レン話師匠をウォッチャーがどう評価するかは ウォッチャーの問題なのである」とか言いながら、ウォッチャーに 低評価こき下ろしいじめを 先導、煽動してません? みたいに見えたけどなぁ。よくわからんなぁ。考察メモ いったん ここまで。

こうかも その介入は 不要で過剰で 言われなくてもやるに決まってるのに 口うるさすぎる 介入口出しなのか

それとも 必要な介入なのか 例 委託される場合 家庭教師やら 医者やら

なんの話をしているのだろう

委託や依頼されてもいないのに口出しをしたらたしかに不要で過剰な指摘になることもあるかもしれないけど、そこの線引きはあると思う。判断、価値観の基準。


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