ワンピース作品を叩いていいのは、宮崎駿監督作品や鬼滅の刃のような視点の作品を、自らが描けるようになったときだけと考えたら、じゃあ、
じゃあ、「鬼滅の刃」あるいは、宮崎駿監督作品のひとつである「千と千尋の神隠し」くらいに匹敵するような作品を、自分にだって 作れるだけの力量や視点があるのだぞと、今までの人生経験のなかからいろいろなものをふりしぼって、結果、できるんだぞとアピールできるためには、(もちろん、アピールする必要やアピールできる必要ってそもそもないのだけれど、必要があると仮定した場合の話ですね、これは)
その場合、もし、じぶんが「レンタルなんもしない人」という作品に対して、両方の視点を入れる、片方しかないと見せかけて両方入れる、入れ子にする、そんなようなそういう風にして、そう作るとしたら、どうなるんだろう。と思ったけど、もうそれってすでに、どなたかがやってきてくれていたのではなかったか。なのだとしたら、もう、する必要や やる必要って、なんにもないのでは。
そもそもワンピースを批判する必要って、あるのかな。ワンピースを批判して叩かねばならないことがもしあるとしたら、その作者や著者または編集部の人たちに、問題があるかもしれないってこと? みたいに なりそう。
ドラクエ5がいま少し話題だけど、ビアンカ、フローラ、デボラ。選べる対象が変わってきたり、選びやすい対象が変わってきたりしたのって、なにか裏側に背景でも、あるのかなぁ。
「レンタルなんもしない人」のドラマって、もともと誰の視点の、どんな視点の、だれに向けてアピールしたかったドラマなの? なんかよくわからない。結末はどうなったの。離婚したのしてないの。有料化して終わったの? でも終わってないよね。人生だから。なんかおかしいなぁ。
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