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秘密基地

なぜ男子は
秘密基地が好きなのか。

子供の頃は女子だって
1度くらいは秘密基地で
遊んだ思い出も
あるとは思うけれど
男子の思い入れとは
だいぶ違うようだ。


息子も小学校3年には
秘密基地という言葉に魅せられていた。

地元には大きな神社と
周辺に広い公園があった。
階段を登っていく周囲の斜面には
周りから見えにくい
場所がいくつもあった。
格好の秘密基地になった。

当時流行っていたポケモンカードや
お菓子を持ち込み
男子数人で
その場所で遊ぶのが
日課になった。

もう少し大きくなると
高いところに秘密基地を
作りたくなった。
家の裏に登れそうな
カエデの木があった。
金槌と釘が持ち出されて
枝の間に板を貼り
やっとこ1人
座れるようにして
秘密基地にしていた。
家庭訪問中に
通りかかった担任の先生が、
木の上の息子を見て
「いいなぁ、お前はいつも楽しそうだなぁ。」
と、声をかけた。

息子はいつも自分の中の
「楽しそう!」という想いに
忠実だった。

その分、周囲は振り回されるのだが。


そんな、「楽しそう」が
大好きな息子が
もっと本格的な秘密基地を
作りたいと言い出した。

中学生になっていた。
中学生になっても秘密基地、、、
と、思ったが、
言い出したら聞かないのは
わかっていた。

中学から進学のため
地元の田舎を離れ
子供達と私で市内に移り住んでいた。

どこに行けば作れるのか?
その問いに
市内の丘程度の山の名前を
2つあげた。

しかしその1つは自然公園で
同じ遺伝子を持つ父親が
小学校6年生の時にその場所で
秘密基地を作って
管理の人にこっぴどく叱られた話を
聞いていた。

もう1つの山に行ってみることにした。
息子はやる気満々で、
すでに集めていた木材とロープと
金槌やらを大きな袋に入れていた。

友達も一緒だった。

その山の近くに行って
驚いた。
なんと登り道沿いは
ラ◯ホテルが並んでいた。

しまった、と思ったけど、
やる気満々の男子3人に
中止は言い出しにくく、
山頂の公園まで登ってみた。
小さいけれど、自然もあり
ホッとしてそこで降ろした。


夕方になって
息子が帰ってきた。

秘密基地の話を聞くと
口をとがらせて答えた。

「いい感じの場所を見つけて、
 棒を立てたり、紐をはったり
 してたんだよ。
 そしたら、お巡りさんが2人きて、
 『君たち、何してるの?』
    と、聞いたから
 『秘密基地を作っています。』
    って、言ったんだよ。
 そしたら笑って
 『そりゃ、楽しそうだけどね。
  ここは私有地なんでね。
  人の土地なんだよ。
  中学生が何やらやってるって
  連絡もらったからさ。
  ここで秘密基地は作れないんだよ。』
      って。
  それで、交番に連れてかれてさ。
  『気持ちは、わかるけどね。
  一応、名前と住所書いといて。
  学校には内緒にしとくよ。』って。

  秘密基地作ってだだけなのに
  補導されたんだよ。」

びっくりした。
今、そんな世の中なんだ。
田舎とはだいぶ違うんだね。
安易に案内したことを
反省した。

そんな理由で中断した
秘密基地作りは
息子の中で不完全燃焼になり、
ぷすぷすと
小さな炎を燃やし続けていた。


そして
とうとうこんなものを見つけてきた。


小さなぷすぷすの火が
いきなりキャンプファイヤーに
なりそうな勢いだった。
息子が雑誌を握って
興奮して帰ってきた。

中学2年生の初夏だった。

「これ作りたい。」

また始まった。
はじまってしまった。

こうなったら終わらない。
何かが動き出すまで
言い続ける。
「どうやったらこの家が作れるのか。」
頭の中がそれだけになる。
出来上がった写真や
デザインは掲載されている。
でもサイズや作り方の詳細が
わからない。


幸か不幸か、
この建築家S氏は
なんと電話番号もメールアドレスも
公開していた。
「ダメ元でメールでもすればいいじゃん。」
延々とどうやって〜と唱えている
息子につい口を滑らせてしまった。

息子は
目を輝かせて振り向いた。

しまった、と思ったが後の祭りだった。
拙い文章ながら
熱意のあるメールを送った。

なんと翌日には返信がきた。
更にそれだけでなく
驚く事実が判明したのである。


S氏は九州の同郷だった。
東京で活動されていたのだが、
東北大震災のあと、家族と共に
九州に戻っていたのだ。


同じ市内に在住していた。


そしてとてもフランクに
「図面あげるよー
   取りおいで。」
と、書いてあった。


もう誰も止められなくなった。
「うおー、すげー。やったぁ!」
喜び舞う息子を見ながら
急に不安になった。

小さい、とはいえ 家だ。

本気で作ることになるのか。
秘密基地での補導事件を思い出す。
安易すぎた。
また安易に後押ししてしまった。

学校が早く終わる日、
息子は意気揚々と出かけて行った。

古い古民家を手直ししながら
いろんな活動をされていたS氏は
当時まだ30代前半で
建築家というより、
思想家であり、画家でもあり
作家でもあった。

初めて会うS氏の
力の抜けた 飾らない在り方に
緊張して出かけた息子は
すっかり魅了されていた。

図面を握りしめて
興奮気味で帰ってきた。
本気で作るなら
応援するから〜と
「中学生建設大臣」の名前をもらった。

その頃S氏は「独立国家の作り方」
という本を出版したいた。
読んでみるとその考え方の
斬新さに驚いた。
当時ホリエモンが32歳で
マスコミの寵児になっていたけれど
新しい発想とその現実化を思考する
若い人達が 
これからの世の中を
変えていくんだと
実感した。

モバイルハウスの考え方は
こんな感じだったと思う。

人は一生物として土地付きの家を買う。
そうやって何千万もの
ローンを組む。
でもその契約により
労働の奴隷にならなければならない。
自由と引き換えだ。
人はもっと自由な存在であるべきだ。
そのために家という固定観念を外して
身軽に住める家を作ろう。
車輪をつければ、
法律的には家ではなくなる。
固定資産税もかからない。
駐車場に停めれるサイズにすれば
家ごと移動もできる。
家、土地という固定された概念を覆し
新しい生き方の1つの社会実験として 
提示したもの。


そんな難しいテーマをよそに

息子は移動できる秘密基地作り
と、思っていた。

「やる気のある奴は応援する。」

と言った言葉に嘘はなく、
古材を使った
有名店舗を手がける
建築家さんを紹介してくださり
廃材を分けていただけることに。
そして一番大事な土台作りと
柱を立てる箇所は
素人には難しいだろうからと
弟子まで派遣すると
約束してくれた。

そこまで言われると
もう後には引けない。

地元の家なら
庭も広いしなんとかなる。

ただ中2とはいえ、何ヶ月かかるか
わからないその作業に
かかりきりになってもいいのか、
という不安もちらりほらり。

でもこんなチャレンジ
人生で何度もあることではない。
むしろ奇跡のような展開だ。
ホントは私も面白そう、って思ってた。

ちゃんと勉強もすること。
費用は自分のお年玉貯金を使うこと。
それを条件に

「モバイルハウス」という名の
 秘密基地作りが始まったのだ。」

                  つづく


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