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ガブリチュウが教えてくれたこと。


どうも、nemuteeです。

突然ですが皆さん、「ガブリチュウ」って駄菓子知ってますか?



柔らかくて、噛みごこちが良くて美味しいあの駄菓子です。

グレープ味とラムネ味



僕、約30年生きてきたんですけど「ガブリチュウ」知らなかったんですよね。ある芸能人がインスタに投稿していて、なんだこれと思って調べて知りました。



それにしても見たことない。多分自分の地域には販売してないんだろうと思ったんですけど、近くのスーパー行ったら普通にありました。



昔から駄菓子は良く食べてたんです。今も大好きです。何回小銭を握りしめてジャスコの駄菓子コーナーに通ったことか。知らなかったってことは最近の駄菓子だと思いました。



1993年から製造、発売してるそうです。同い年でした。



つまり僕が小銭握りしめて駄菓子コーナー通ったころから、そこにガブリチュウは居たんです。ひっそりと。身を潜めながら。



現に僕の中にガブリチュウが生まれたのは2022年の8月です。それ以前は僕の中にガブリチュウという存在はありませんでした。知らないということは「無」と同じなのです。
見つけられなかっただけで、ガブリチュウはずっとそこに存在してたんです。




駄菓子コーナーは熟知していると思っていました。見えてるつもりでした。でも見えてなかった。繰り返しの日々は自然と視野を狭くします。いつの間にか「うまい棒」と「わさびのり」しか見えなくなっていました。





なんともったいない。あんなに美味しい駄菓子を僕は30年間も知らなかった。





人間の脳みそは自分たちが思っているほど優秀じゃない。この世の中で起きていることで人間の脳が理解できることはほんの少しだそうです。そしてそのありふれた情報の中でも、人は無意識にその中から物事を選んで見る。全て見えているつもりでも本当は物事のほんの一部分しか見えてないんです。



ガブリチュウが僕に教えてくれたこと。



それは求めているものは常にそこに存在しているということです。そしてそれは見ようとしなければ見えないということ。



繰り返しの日々でも僕らの知らないことはまだたくさんあるはずです。あんなに通った駄菓子コーナーで僕がガブリチュウを見つけられなかったように。大切なのは自分が求めてるものを頭に置いておくこと。そしてそれを見ようとすること。意識すること。



身近にもまだまだ僕らの中で生まれてないものがたくさんあるはずです。よく目を凝らして見ないといけません。よく意識しないといけません。時には遠くから、右から左から、いろんな視点から。あなただけのガブリチュウは案外あなたの近くにあるかもしれません。



これから僕は失われた30年分のガブリチュウを食べるでしょう。妻には反対されると思いますが僕の意志は夏場のガブリチュウくらい固いです。

ガブリチュウに愛とリスペクトを込めて。



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