私がいるよbot

お久しぶりです。お元気でしょうか。
投稿する勇気と後回しにする癖のアビリティを交換したいです。

とりあえずは、バイト探しと人との出会いにいそしんでおりました。

一応報告としては、卒論を完成させまして、
途中で千五百文字くらいの現実逃避(NCT悠太くんとジョンウとマークについて、彼らは砂漠の中のオアシスという名の愛そのものなのだという浸ってる系誰得考察)を別のwordでつらつらと書きながらも、当初宣言していた通り「馬生」について、ネタ切れになりながらもド素人目線で書きました。

卒論については思うことが多々あるため、また別に投稿したいと思います。

あと、前に出会ったS先生には、
そんな面白いことやってるんだから、この先いつになったとしても院に進むことも頭の片隅にあってもいいんじゃない
と言われ、イギリスは本場でもあるし、関心を持ち続けようと思っています。


それと、イタリアに行くと息巻いておりましたが、イギリスに行くことにしました。
というのも自分がやりたいことの多くがイギリス(本場)にあるということが最大の理由です。小学生のころからひそかにイギリスに行きたかった、ということも思い出しまして。

イタリアはイギリスにいる間の過程で行くことができればと思っています。

この前バイトに行く前の道中、「マフィアのように歩きたい気分にさせる曲」、というgroovyさんのプレイリストを聴きながら、
大学のチャレンジ奨学金を使って、いらなくなった教科書を気軽に持ち寄れる、あるいは売れるプラットフォームを大学に作るのもありだったな
と考えていました。

今時教科書を買わなくても受けることができる講義が多いかもしれませんが、必要な人に必要なだけ行き渡るシステムが大学にあってもいいなと。教科書高いし。

ネットで古本を買うことができるからなくてもいいかもしれないけれど、あったって損はない、のか?

本を手放す人、それを買う人へのお礼のコーヒースタンドとか併設したり。

レモネードスタンド的な?

利益をコーヒーに変えてモノを交換することで、果たしてお金も善意も循環するのかみたいな実験をするのも面白いかも。

コーヒーを例にしたけれど、
物々交換の選択肢はたくさんあるし、あくまでも大学という場を交換のプラットフォームとして成り立たせることは可能なのか、とか。
もう既にやってる方たくさんいらっしゃるだろうけど。

昔、英語の教科書でレモネードスタンドの話読んだ気がするんですよね。

というのも、シェアマネーという、商品を買った人の善意によってお皿に入れられたお金を各人が自由に使ってください、ということを行っているカフェがあったので、書いてみました。

前置きがだいぶ長いし脱線しましたが、このタイトルをなんでつけたかというと、経緯としては、

自分の時間が確保できて、生活するお金があったとしたら、人は全員一回はボランティアをするのか
と考えたからデス。(生活するお金の出所は置いといて)

つまり自分に(金銭的精神的)余裕があったとして、ボランティアをする気持ちになるのかどうかということで。カウンセリング、公共の掃除をする、無償の食堂等。 

実際どうなんでしょうね。疑問を呈した割には想像が膨らみません(笑)

皆さんはわたしがいるよbotがあったらどう思いますか?たまに面白いbotがあって元気をもらっているのですが、それってボランティア的なやつじゃないですか。やってることとしては。

なんか傷ついている時とか、悲しい時とか、落ちている時とかって寄り添ってもらってるって気づかないことあるよなあ
と思いながら、人の好意や善意、愛をもっと上手に受け取れるようになりたいなと思う日々です。

なんか受け取り可能な優しさをポロポロと取りこぼしてるような感覚がたまにあるんですよね。考えすぎだとは思うんですが。
もしそう思っている方がいらっしゃれば、多分その人は愛のひとだと思われます。大丈夫です。

最近は、ハーミットのように、日ごろ多忙で考える時間が必要な人が自分を見つめ、内観できる世の中、いわゆる風の時代になってきたのかなあと勝手に思っています。

取り留めのないことばかりですが、これでも久しぶりなのでなんだかドキドキしてます(笑)

今京都にいて、とある方に会いに来ていました。
自分の方向性、やろうと思っていることをやる!という決心を、がちっと決められた気がして、feeling so goodってやつです。

それではまた!
今日寒いので午後も暖かくしていきましょう。

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