子虫

メーカー勤務の管理栄養士です。 生後四半世紀になりました。 最近記憶が残らないので備忘…

子虫

メーカー勤務の管理栄養士です。 生後四半世紀になりました。 最近記憶が残らないので備忘録です。

最近の記事

正義の限界

あらゆる事象に悪を見出せないタチで、すべての選択肢に自分に見えない側面があると想像するようにしてて。それでも気付けないこと超えられてしまうこと理解できないことは山ほどあるのだけれど、360°どう考えても、自分の気に食わないもの理解できないものだからと望まれない他者の生を奪うことは許されてはいけなくて。『いつ死ぬかわからないし』なんて気軽に口にしてきたけれど、それはあくまで自分に死のタイミング死の方法の全権限を与えられてる前提で。 この今の日本にどう希望を見出せと言うのだろう

    • 依存するとかしないとか

      久しぶりに更新してみたい。というのもここ最近はどっぷりと文字を書くよりも140字で小出しが好きだったのだが、特に強く思ったことなので書きたいだけ書いてみたくなった。 人に依存することはあまりない人生だった。それは勿論、最低限の学費だとか生活費だとかは親に甘えてきたものだったが、例えば塾を馬鹿にして自力で猛勉してみたり、極力お金の負担をかけたくなかったので私大をセンターで受けてみたり(普通試験料の半分以下)、入学後の教科書も自分で買ってみたり、友達がいようがいまいがやりたいと

      • 今以上に綺麗に成ってないで

        いつか街で偶然出逢っても、に続く詩である。 ※漢字は個人の解釈のまま。 わたしはこれを超える詩を未だ知らない。 某ロックバンドがわたしの生まれ年にリリースした一曲である。 物心ついて20年間塗り替えられないのだから、相当に好いているのだろう。とはいえこの深みに正しく気がついてきたのは、所謂大人になってから、ではあるが。当時はドライブで流れるいつもの一曲として刻まれたのみだった。 記憶を留められるくらいには歳を重ねてから、それはもうみるみるうちに世界は変わってきた。変

        • 怒りの感情について

          あまり怒らない。 長女だからか、気質なのか、怒の感情が欠如しているのか、どうにも滅多なことでは腹を立てないほうだと思う。怒りは疲れるのである。疲れたくない。 昔は寧ろ怒りっぽかったと思う。テレビゲームを好み、思うように進まないだけで一々癇癪を起こしていた。箸がうまく使えないだけで怒ったり、パジャマのボタンの掛け違いで怒ったり、忘れ物をした自分に怒ったり、自信のあったテストの点が悪くて怒ったり。 そんな機会もなくなった今、怒りを誘引する素因が滅多に無くなった今、爆発的に怒

        正義の限界

          自分に負けないってなんだ

          よく言う自分に負けないってなんだかよく分からない。自分は自分じゃないのか。自分なのに味方じゃないのか。せめて自分くらい自分に味方してくれないと、幾らなんでもハードモードすぎやしないか。優しい世界はどこなんだ。 そんな捻くれをめざましテレビ合間の某CMを眺めながら抱いた朝だった。 わたしが俗に言う努力を最も費やしたのは、大学受験の時だった。とはいえ進学先は世間一般に然程難関ではなく、単に自分の興味の矛先で最も環境の良い場所に、圧倒的余裕をもって進学したのみの結果であった。

          自分に負けないってなんだ

          片方のイヤホンを渡す的なアレ

          分岐以降のイヤホンってたぶん30cm強ずつくらいしかなくて、それを誰かとシェアするって、すごくパーソナルな空間に迎え入れることになるじゃないですか。その上で、隣り合わせに同じ聴覚刺激を共有するんです。 無茶苦茶に良いことだと思う。こういった感覚に対峙すると途端に語彙力が失われていくが、兎にも角にも《良い》のだ。良いものに理由は要らないと都合のよいポリシーを貫いてきた。 この圧倒的《良い》に出くわし難くなってしまった事実を、増税前に駆け込んだヨドバシカメラ新宿マルチメディア

          片方のイヤホンを渡す的なアレ

          カタチから入ること

          日々の些細な感性とかを保存しておきたくなったからだ。 Twitterでも構わなかった。それこそサブ垢だの裏垢だの呼ばれる、わたしとは特定されにくいアカウントをひとつ設けて、淡々と録っておくのも手だった。 それでもなにか満足いかないのは、どこか自己顕示欲的なものも充したかったのだろう、noteという形式をとることでなんとなく見られてるかもを味わう手を取った。 文字数としても今ひとつ、ちろちろと半端な文章として日記的に、書けるときに気ままに。何より酒のせいか忘れっぽくなった

          カタチから入ること