あるもので生きていく。
あるもので生きていく。
そこにあるもので。
遠くにあるもの、
となりの芝生、
まだ見ぬ景色や人、
…に対して私たちは憧れという魔法をみずからかけてとらえてしまいます。
遠くにあるものに恋して求めてしまう。同時に近くにあるものの価値を軽んじてしまう。
それは小さな落とし穴で、私もときどき落ちては痛い目にあいます。
先日、久しぶりに一日三食ごはんづくりを1週間ほどしました。
料理はすきです。
食せば何かを生み出す源になる。
食べてくれる人がいることが作り手にとっても源になります。
山荘のキッチンで三食こしらえるリズム。
ふだんと違って買いだしが必要だけど、食材がなければないでなんとかなるもの。
日常の料理は、『あるもので生きていく。』という象徴的な例に思えます。
慣れてきたらお城のように感じられたキッチン。
山荘周辺の景色も、汲みにいく湧き水もしみじみとありがたく感じられます。
そして、早朝の山は光の粒も酸素も密度がたかい。
あるもので生きていく、と決められるとその場(土地や人々)から与えてもらえるとはこういうことなのでしょう。
これから物質的にもっと限られた環境になるかもしれない。それでもいのちを創造してゆく。
『あるもので生きていく。』
そこにあるもの。
それはきっと動物や植物のように、身体ひとつをフルに活かして手にできる範疇のもの、ではないかと思う。
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