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白菜を拾う方が私


歌でも歌いながら料理をしよう、と思った。
そうして立ち上げたのはSpotifyなどではなく、最後に編集したのが約十年前のiTunes。
登下校中も、失恋後即シャワーを浴びながら絶望していた時も、初めて実家を出て暮らすために炊飯器を持って電車に乗っていた時も、今はもう経験できない、思い返すとなんか胸が締め付けられる気がする場面でもれなく再生していたiTunes。

聴きたい、よりも歌いたい気分だったから、選んだプレイリストは『散歩』。私は散歩中、心の中で歌を歌いたくなるので十八番を集めたプレイリストに『散歩』と名付けていた。
シャッフルをタップして、流れてきた1曲目が散歩中に歌いたい、ではなく散歩中にちょっとエモい気持ちになりたいがために選ばれた曲だった。そういえばそうだった。1曲だけそんな理由で選ばれた曲を入れていた。

それは私が高校時代から数年間、死ぬほど好きだった人がギターボーカルをしていたバンドの曲だった。イントロの初めの1秒を聴いただけで、数年分の記憶が脳を駆け巡った。
高校時代の部活の大会帰り、赤地にシルバーの糸で学校名と“陸上競技部”とゴリゴリに達筆なフォントで刺繍されたジャージを着たまま見に行っていた地元の駅での路上ライブ。卒業式にもらったネクタイ。社畜時代に仕事をマッハで終わらせて駆け込んだ都内の有名なライブハウス。当時何度も思い返した細々としたやりとりはあまり思い出せなかった。

意識が完全に過去に飛びながらも、材料を冷蔵庫から出し、まな板の上で切る。そして切った白菜が床に落ちる。こうして白菜を拾っている自分と、過去の自分がどうしても同一人物に思えない。過去の私に一切共感できなくなっている。
あんな一生懸命にはもうなれない。

今日の晩御飯はお鍋よ。

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