「有村架純似」という概念
ことし10月の頃の話。
オタクの味方として知られていた山田太郎文部科学政務官の不倫スキャンダルが報じられた。
見出しに堂々と掲げられたのは、「有村架純似」というゴリゴリの固有名詞。有村架純さんへの風評被害も甚だしい。
しかし、この「有村架純似」という文言、私はすでにどこかで聞いたことがあった。
そう思ってネットの海を小一時間サーフィンしてみると、
あった。あったぞ「有村架純似」。
ひょっとしてまだあるのではないかと思ってもう少し探してみると、
という軽い笑い話もあれば、
下記のサイト内にこんな記述を見つけた。
そしてこんなサイトにも、、、
いやいやいや
ゴシップ記事を書くオジサンたち、有村架純好きすぎないか???
そしてこれに気づいたのはどうやら私だけではないようで、、、
「下半身スキャンダルの定型句」ですって…。当の有村架純さん本人には失礼極まりないし、有村さんはなにも悪いことはしていない。
だけど実際、下半身関係の話をするにあたって、ゴシップのディティールを強化するためのツールとして「有村架純似」という概念は持ってこいなのかもしれない。
ではなぜ、有村架純似なのか?
石原さとみ似ではダメなのか?
それとも吉岡里帆では?
(そういえば、某首相の長男の元秘書官のスキャンダル報道の相手は、吉岡里帆似の女子大生だったような…)
ということで、前置きが長くなったが、なぜオジサンたちが「有村架純似」というマジックワードを濫用しがちなのかという論点について少しだけ考えてみたい。
①家庭を感じさせない雰囲気
有村架純さんを嫌いなオジサンはおそらくほとんどいない。
知的で清楚なイメージを身にまといつつ、(近頃久しぶりに熱愛報道が出たものの)浮いた話もほとんどなく、家庭を感じさせるイメージも良い意味でない。
新垣結衣、石原さとみ、蒼井優など根強い人気を誇る女優たちがみな結婚し続々とママになり、家庭のイメージが付きまといつつある昨今。
有村架純さんのポジションは、家庭から距離を置いてオトナの火遊びをしたいと憧れるオジサンたちにとって、まさに理想的で最高に都合のいい存在と言っていいだろう。
②後ろめたさを感じさせない雰囲気
パパ活だの不倫だのに手を出すオジサンたちにとって、相手の女性が自分の愛娘のようであっては、後ろめたさしか残らないだろう。
さっそく会う約束をして、実際にやってきたのは森七菜みたいな女性だったら、「なんか違うなー」と思うオジサンは多そうではある。
そして、もし菜々緒さんみたいなスタイルの良い女性が現れたらそれはそれでハードルが上がってしまうし、何より「罠」感がすごい。
山田太郎議員もきっと、有村架純似ではなく菜々緒似の美女に篭絡されていたら、警戒して泥沼にはまることを防げたかもしれないね。
その意味で、「有村架純似」というのは、後ろめたさを感じさせないどころか、ともすればワンチャンあるのではないかとも思わせる雰囲気に満ちているのかもしれない。
そんなこんなで「有村架純似」は、オジサンを惑わせるのに持ってこいということだ。
そりゃゴシップ記事のライターたちは濫用したくなるわけだわ。
もし政治家や経営者など社会的に影響力のある人にハニーなトラップを仕掛けたい場合、「有村架純似」を仕向けるというのが一番効果的なのかもしれない。
でも実は、もうすでに「有村架純似」作戦が水面下で実践されているのかも…
なんて下世話な妄想を膨らませてしまった。
さらに、もし本当に有村架純さんがオジサンたちの平均的な理想の存在なのだとしたら、これだけ多様化と分断が進んだオジサン世論のなかに、わずかな一致点を見いだせるような気がする(気がするだけです)。
というのは置いといて、
そういえば、有村架純さんはブレイク前に出演していた『阪急電車 片道15分の奇跡』という映画で、玉山鉄二演じる社会人のお兄ちゃんと交際している高校生を演じてたし、
ドラマ『SPEC』でも当時17歳ながら竜雷太演じる野々村の「彼女」役として出演していたような、、、。
これはもう、有村架純さん本人にオジサンたちを揺さぶる「なにか」がもともとずっと備わっていて、オジサンに好かれる芸能生活を運命付けられているのかもしれないな、、、。
(…ちなみに私は、有村架純さんよりも、同じ事務所の妹分の松本穂香さんに似た人を仕向けられるほうがずっと嬉しいです…)
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