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「おじさんの背伸び」と役割期待

カラオケで上司が無理して米津を歌おうとしてくる……。
父親があいみょん知ってるアピールをしてきてめんどくさい……。

このごろ、こうしたいわば「おじさんの背伸び」に関するエピソードをよく耳にする。

こうした背伸びを嫌悪する人たちからしたら、「おじさんにはおじさんの役割があるんだから、それを全うしてくれ!」「イタくて聴くに堪えん!」といった心持ちなのかもしれない。

このところ展開される「おじさん構文」ブームのように、この現象もエンタメ化する可能性もなきにしもあらずだが、現状ではとても難しそう。

なぜならそこには、単なる「イタい」という感想以上に、自分たちの趣味に「おじさん」が侵入してくる嫌悪感というか、危機感みたいなものが含まれているように思うからだ。

たとえるなら、思春期の娘の部屋に父親が入ってくるあの感じに近いのではないか。とかいいつつわたしは娘にも父親にもなったことはないんだけども。

全体的に主語が大きいことを承知のうえでいうと、「若い人」たちには、「おじさん」におじさんらしい音楽やおじさんらしい趣味と触れていてほしいのだと思う。

「おじさん」が、むやみやたらに「TikTok」に進出しても歓迎されないのはそのためだ。「おじさん」の誰もがみんなCMの小日向文世さんみたいになれるわけではない。残念ながら。

その意味で「おじさん」はちゃんと「期待」をされているのだ。期待はされないよりはされたほうがいいはず。たぶん。

さて、ここで素通りしがちなのが、「若い人」も「おじさん」から期待されているということである。

その期待とはつまり、「若さをもちつつも、おじさんにわかるような話題を提供してくれ」ということに尽きると思う。

「おじさん」からしたら、せっかくの話し相手の「若い人」なのだから、何かしらの若さを期待する。若さを摂取できなければ、その「おじさん」は別の「おじさん」と会話すれば事足りてしまう。

しかし、自分にとってわからない話題は提供してほしくないのもまた事実だろう。相手に合わせて背伸びし続けたら足が疲れるし、かならずどこかでボロが出るからだ。

そうした「おじさん」からの期待を理解し、「おじさんにわかるような話題」を提供できる「若い人」は、需要を一身に集めることになる。これこそがまさに「おじさんウケ」なのだと思う。

性役割については近頃そこかしこで議論されているけれど、こうした「世代役割」と呼べるようなものはまだまだ未開の領域だ。

この「世代」の壁を構築しているのは、他ならぬ「見た目」のような気がしてならない。だけど長くなりそうなのでこれはまたこんど話そう。

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