亡くなった父の話1

2017年11月20日は肺がんで父が亡くなった日。49歳だった。
私は当時21歳。

父が死んでから、父に対することはたくさん頭の中で考えてきた。
こうして文章にしたことがないので、今日はしてみる。

おかしな我が家は父のせい

父は、とても変わった人だった。
というのも、物心ついた頃から、我が家は下ネタが溢れかえっていた。

家族でごはんを食べているときに、テレビでエッチなシーンが流れたら、一般的な家庭ではテレビを消すだろう。
しかし、我が家は違った。

まず一番に父が大喜びして、次いで私たち子ども(私と弟)がはしゃぎ、母はブツブツ言いながらもしっかり見ながらご飯を食べる。

父が一人でテレビを見ていてエッチなシーンが流れようものなら、リビングから大声で私たちを呼び、全員がテレビの前に集合し、終了すれば解散する。

私がインターネットで遊んでいれば、ちょっとパソコンを貸してくれと奪われ、何をするかと思えばド卑猥な言葉を画像検索して見せてくる頭のおかしい人だった。

父の咳が止まらない日

父のがんが発覚したのは今から約9年前、私の高校2年生も終わる頃だった。

家族で大分旅行に行ってた時に、父が妙な咳をずっとしていた。

冬だったから、てっきり乾燥から来る咳だと思い「マスクをしなよ」と言ってもしない父に、「いいからのどぬーる濡れマスクしなよ!」って怒ったことを覚えている。

そして、後日検査をしたら肺がんだった。
肺には水が溜まっており、既にステージ4、末期だった。

父が肺がんと聞かされた瞬間は、ショックではなかった。

あまりにも驚きすぎて現実感が無かったからだ。

結局、涙も流すことなく日常生活を過ごしていた。

父はそのまま入院した。

数日後、お見舞いにいくために、担任に事情を話した。

それまで泣くことがなかった私だが、「父がガンで」と言ったとき、涙が止まらなくなった。

父は死ぬのだと、ここで初めて実感したのだと思う。

それでも父は変わらずおかしい人だった

父は、人懐っこい性格だった。

小学生の頃なら何となくわかるが、高校生、大学生になっても父は朝方娘の布団に潜り込んでくる。

私はもちろん嫌がって父を蹴飛ばして逃げるので、今度は父は自分の布団に娘を入れる作戦に切り替えた。夜寝る前に添い寝を求めてくるのだ。

「布団が冷たいから一緒に入ってくれ」

想像してほしい、183cmもある40代のオジサンが、年頃の娘に添い寝を求める姿を。非常に気持ち悪い。

断るとひたすら添い寝するまで名前を呼んでくる。とてもうるさい。

正直父親の部屋も布団も臭いし入りたくなかったけど、いつまでも呼ぶから仕方なく3分という制限をつけて入った。

とにかく嫌な添い寝タイムだった。

ガンが発覚してからもこの添い寝タイムはたまにあった。

もちろん最初は嫌がる素振りを見せるけど、父のことを思うと添い寝くらいしてやるかという思いになった。
そして、スヤスヤ寝てる父を確認して、父と2人で自撮りをした。

つづく

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