亡くなった父の話2
ガンになっても変わらない生活
父のガンが発覚して、父は入院と一時退院を繰り返す生活をしていた。
末期ガン、そして余命も宣告されているというのに、私たちの生活はあまり変化しなかった。
変わったことといえば、父が仕事を休み、家にいるか病院にいるかというくらいだ。
父は、いつも通りよく食べる。
買い物に行けばお菓子をたくさん買って、なんでもない日にケーキを買って、パンを買って、晩御飯もそれなりに食べる。
ちなみに昔から糖尿病も患っており、食前にはいつもインスリンを注射していた。私もよく注射を打たされたものだった。
ガンだったが、苦しいとか、痛い、とかいう声を聞くことがほとんど無かった。
大学進学で地元を離れて気付いたこと
そして私は大学進学で、地元の山口県から京都府へ行った。
ゴールデンウィークで初めて帰省したときも、父は車で新幹線の駅まで迎えに来てくれた。
見送りも、小さい母と、いつも通りでかい父がホームまで来てくれたことを覚えている。
ただ、2回生になり、父の異変に気付きはじめた。
会うたびに髪の毛は薄くなり、ガタイの良かった体は痩せて骨が目立つ。
脚にはかさぶたのようなものがたくさんあった。
いつも通りに見えても、確実にガンは父の中にいた。
実は、その頃父は処方してもらった薬を、母に隠れて飲んでおらず、いくつか捨てていたそうだ。
糖尿病とガンと骨折と…
ガンを宣告されてから3年。
私は大学3年生になり、そろそろ就職についていろいろ手をつけなければいけない時期、母から連絡が来た。
なんでも、母を駅まで迎えに行こうとした父が、アパートの階段を降りている時に段を踏み外し、股関節にヒビが入ったらしい。
これまでの放射線治療などの影響で、骨も弱くなっていたそうだ。
父はなんとか自力で2階の自宅へ戻り、玄関で横になって母が帰宅するのを痛みに耐えながら待ち、そのまま救急車で病院へ運ばれた。
すぐに脚の手術を…!といいたいところだが、それができなかった。
医師の話によると、肺がんの治療とか糖尿病の様子を見て治療をしていくため(このあたりの説明は詳しく覚えていない)、とにかくすぐに歩ける状態にするだとか、リハビリができるようにすることが不可能で、脚にピンを入れる手術だけがされた。
その日から父は完全に病院生活が始まった。
私はなんとなく嫌な予感がした。
私の祖父は私が高校生の頃に亡くなっている。
祖父も、脚が弱り歩けなくなってから、一気に衰弱した記憶があったからだ。
つづく
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