手術当日

2018年5月7日。
この日がこの子の命日となる。

すでに命はないのだけれど明確な日にちが分かるわけもないので手術日を命日にするしかない。そもそも生まれていないから命日ですらない、のか?

細かい事は置いておいて、GWは近場で水族館や美術館、海に行ったりしてなんとなく思い出づくりというか、行きたいところに行きまくった。そして仕事を休み5月7日を迎えた。

わたしの行った病院では流産手術は1泊2日で、朝は7時くらいまでに食べてそれ以降はお茶かお水のみ。

午前11時くらいに病院へ到着し、点滴用ルートを確保したあと、ラミナリア(子宮の入り口を広げる棒みたいなもの)を入れて、ラミナリアが水分を含んで膨らむのを待つ。

ちなみにラミナリアはこんな形状。ラミセルというものも子宮を広げる時に使う。どちらも水分を含んでこの細い部分が太くなって行くので子宮の入り口が徐々に広がる仕組み。

これを入れること自体はおそらく痛くなく、これを入れるために子宮頸部を固定するために鉗子(かんし)で挟むことが痛かった。我慢の出来る範囲だったけれど。おそらくこんな感じで頸部を挟まれてだと思う(画像は分娩誘発時のものなのでラミセルが何本も入ってますが私は多分1本だったと思う)。

これを入れ終わってからはそんなに痛くなく、弱い生理痛のような感じ。

そんなこんなで14時くらいまでは手術室に呼ばれるまで待機することになる。もちろん朝早くごはん食べたのでお腹は腹ペコ。術後調子よければ夜ご飯は食べれるので、それを楽しみにしていたりしていた。

14時半頃に呼ばれて、特に不自由なところはなかったのだが何故か車椅子でオペ室まで行くことになり(そういう病院の決まりなのか?)押してもらいながら向かう。  

もちろん意識はある状態で手術室まで向かう。と、ここで向かっているフロアが産婦人科だということに気づく。

そう、帝王切開と同じ手術室で流産手術をするのだった。隣には分娩室もある。

これはさすがに私の心にぐさっときた。産むところと、流産手術するところが同じとはまさに生死が隣り合わせである。

そんなことを思っているうちに手術室入室して、周りがバタバタと術前準備が始まり、泣く余裕もなく手術台へのぼる。

血圧計やら心電図モニターをつけ、下着を脱がされて足台がセットされていく。足はもちろん子宮内を見やすくするためM字開脚することになる。まだこの時点で意識があるのでさすがにだいぶ恥ずかしい。医療者側の時は何も考えてなかったけれど。

そして点滴から静脈注射麻酔が入ってくる。麻酔が血管内に入ってくると腕からひやーっとして、全身を巡っていく感覚が分かった。急に酔っ払ったような感覚というか二日酔いのような感覚に似ている、気がする。とにかく全身にぐわーっとアルコールが回ってような感覚。きっと急性アルコール中毒ってこんな感じなのだろうと思う。

そして呼吸がどんどん苦しくなっていく。
息をするのが難しい。
おぼれそう。落ちていく。

とにかく麻酔が全身をめぐる瞬間がなんだか訳の分からない状態。生きてるのか、死んでるのか、わからないそんな感覚だった。死ぬんじゃないか、怖いと思いながら落ちていった。

麻酔されてる間はてっきり意識が完全になくなるものだと思っていた。私の場合は違った。

目は開けられないくらい重く眠っている状態に近いのだが、なにか下半身でされているのが分かる。そして麻酔されているはずなのになんだか「痛い」のだ。

心理的な要因もあったのかもしれないが、これは最後の最後に我が子が私のからだにしがみつきたいという足掻きだったのかもしれないな〜と今は思ったりもする。麻酔が効いてるはずだから痛いはずないのに。意識は深いところにありながら痛い、やめて、と思っていた。(声を出せる余力はなかったが出ていたのかな)

「いちごぱんつさん、わかりますか。ゆっくり深呼吸してくださいね。」  

そう声をかけられてぼんやりした意識の中なんとなく「あ、SpO2(酸素飽和度のこと)下がってるのかな、息しなきゃ」と思ったのを覚えている。どうやら手術が終わったらしい。(この辺は元医療職者だなと思った)  

正式にどのくらいで手術が終わったのは分からなかったが、おそらく大抵の流産手術は15-30分くらいで終わるのでそのくらいだったと思う。

麻酔が効いているのでベッドで手術室から病棟へ帰室。部屋に戻ってからは看護師がバイタルチェックをするために出入りをしていた。
まだぼんやり麻酔が残っていながらも、夫の顔を見た瞬間、堰を切ったように想いが溢れて大号泣していた。自分でも泣くと思っていなかったから驚きだった。

泣いた理由としては、手術をしたことによって流産が事実となってしまったショックが一番大きいのだと思う。これまでは妊娠していたという事実すらよく分かっていなかったので、手術がその証となってしまったのだった。

あとは単純に手術自体が不安で終わったことに安心したこと。

しばらくはベッド上で泣いて夫に手を握ってもらっていた。麻酔が効いていたから、夫はどんな顔をしていたか分からない。

#稽留流産  #多嚢胞卵巣