231106

風邪をひきました。風邪きてるわ〜と思いながらちょっと無理して行事に出てたら完全に拗らせ、三連休を棒に振る。絶対行きたかった約束などもあったのに、ただでさえ凹み始めたマットレスの真ん中の溝を自重でさらに深くするだけの三連休となった。

ずっと寝ていたが流石に合間は起きてしまうから、気になっていたネトフリのプルートゥを観た。プルートゥ(ほんとにゥいるか?)を観てその中でごく一部の感想と、あまりの暇さに考えたことをかいとこ〜という日記。

なのでプルートのネタバレを一部含みます!!







もうみてない人はいなくなったかね。






もういい?




別に大したネタバレはしないし原作もあるけど!!!個人的に鉄腕アトムは、小学校低学年の頃、狂ったように読んでいたドラえもんのネクストステップとしてお父さんが渡してきたのを1冊だけ読んだ記憶がある。が、なーんらわかっていなかった。なーんらわかっていないなりに、わかりたかったり、少しだけ理解できるところが面白かったりして何度も読んでいた記憶がある。たぶん、マイファーストビックとかでまとめられた「ナントカ編!」みたいなやつだったのだけど、今どこにあるんだろう。それでか、うっすらと記憶があるような気がする、と思いながら見ることができたのがちょっと嬉しかった。

そんなことはどうでも良く、ずっとシクシク泣きながらみたせいで風邪っぴきの元気が余計なくなった。ノース2号のエピソードは初っ端から涙涙だし、アトムがかわいすぎる。

個人的に一番グッときたのが、天馬博士のアトムへの向き合い方だった。アトムが死んだ時、トビオが死んだみたいに悲しんだ上で、お茶の水博士の「直してくれ」に対して、「治せない」と答える応酬、そう言っておきながら結果直して、お茶の水博士に「ああ言いながらやるじゃん」みたいに言われていたシーン!

天馬博士は結局アトムのことを、ロボットとして認識し切ることができなかったんだなと思った(人子供のつもりで作ったんだからそれはそう)。だからこそ死んでしまった「命」は治せない、と言った上で、人としてのアトムの死を悼んだ上で、仕事としてアトムを直したんだと思ったし、その、自らが過去に犯した「死者を生き返らせようとする」タブーに対して思うところがあるからこそ、「治せない」の答えをしたんだなと思った。それに対してキラキラした目のお茶の水博士は、もちろんロボットはロボットで、電子頭脳が壊れた上で再製作したらそれは別のロボット、という、ロボットの倫理を判断の軸として持っていて、アトムの人権を認めて本当に可愛がっているけど、ほんとに生き物として扱いたかった天馬博士の葛藤にはずっと気づかないままなのだと思った。

「見た目ではロボットと人間はわからない」「ロボット差別の発言を咎める人が反ロボット団体に所属している」というシーンとも合わせて、行動や会話でわかり合っているように上辺上見えても、心のうちで思っていることは本当の意味で噛み合うことはないよね、と思わされた。その上で、、、憎しみは消えないけど、それでは何も産まないからこそ、愛と理性で憎しみは止めることができる世界であって欲しい、何より心があるからこそ、という帰結をロボットに示されるのが、本当に世界に対する祈りでしかなく、いいものみたな、という思いと、世界のままならなさと、やるせなさとでめちゃくちゃになった。



あと音楽よすぎ

それとは全然関係なく、めちゃくちゃ不誠実な恋愛の話を結構前に聞いて、摩訶不思議な気持ちになったことを思い出していろいろ考えていた。あと最近ネトフリのセックスエデュケーションを頭から見返していて思ったことがあり、寝過ぎて眠れない頭でぐるぐる考えていた。ので、まとめる!

恋愛ってお互い運良く惹かれあったので、これから一生懸命信頼関係作り上げていきましょうねと2人で決めてコミュニケーション取って頑張っていく、っていうことだなあ、と最近ようやくわかり、今までの恋愛では酷いことをしてきてしまったとも思っている。これはセックスエデュケーションを見ていて思ったことだけど、恋愛をロマンスにしすぎている!!!私たちは(勝手にまとめてごめん)!!ロマンティックのために何も言わない語り合わないことが私たち(勝手にまとめてごめんて)を不幸にしてきた!!多分!!何も言わなくてもわかってるよ、になるために、本質的に互いを理解し合おうとする努力が必要なのに!!なぜか、「会った瞬間に理解る[わかる]」みたいなことを「いいこと、正しい恋愛の形」と刷り込まれすぎている!!!これは、性交渉を行う際にはしっかり互いの同意をとる必要がある、といった時にめちゃくちゃ不平不満が吹き上がることと絶対に地続きだと思う。ムードって!!!なんだよ!!!セックスエデュケーションが最終的に、「親子の対話」「友人との和解」みたいな人と人とのつながりやコミュニケーションの話になっていくのって結局、「性教育は性交渉や自分の性、人の性に対する基本的な知識を得たあとは、相手が、自分がどうしたいか、性別二元論や立場にとらわれずに対話を持ってわかりあおうとすることが大切という結論に行き着くから」であると思っている。女はこうすると喜ぶ、男はこうである、という知識の欠如からくる偏見を是正したあと、残った人間同士がどうすればいいかは、各々のコミュニケーションにかかっていて、それはオーティスやジーンみたいに知識があってもいつもうまくいくものじゃなくて、相手と向き合って話して、その上でもうまくいかないかもしれない怖さもテイクしていかないといけない。涙 嫌すぎる。涙 でもやってかないといけないし、やっていきたいと思う人と出会うことの素晴らしさ。

すばらしさよ!!!!!

うまくいかないよねえと思う。うまくいかなかった時に、好きになれなかった時に、そこまで向き合おうとした相手に「無理でした」っていうことは、めちゃくちゃ精神的にも時間的にもコストだなと思う。でもそのコストをしっかり取ってくれるって向き合ってなきゃ無理じゃん!と思うのでちゃんと別れてくれた元彼たちに感謝をしたい!!!わたしは!!!

でもどうしても、性別二元論の最悪方法論を語るYouTuberをなんかめちゃくちゃ観たくなるような日もあって(女はこうで男はこうだ!みたいな)そういう日は多分、何かを近道したいような気持ちなんだと思う。そういう時期は、人との関わりを持とうとするんじゃなくて自分の自己肯定感を上げなきゃいけないし、多分恋愛とかしてる場合じゃないっぽい!!!

偉そうに言ってるけど全然恋愛ド下手くそ!!!!

でも自分が正しいと思ってなきゃ生きていられない!別に誰と討論してる訳でもないし!!!!

風邪引いてんだから早く寝ろ!!!おやすみ!!!!

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