240124


ウィッシュみた。何とも言えねー。という日記

12月に受けた健康診断の腎臓パートに急にE判定が出、今までA(視力はBやCなどあるけど)しか出してこなかったので、健康だけがとりえ(「だけ」と言いつつ、ありがたいことです)のこの体にもついにいろいろなことが起こるように……と思いながら、受診。

結局何事もなかった。動くと当該の数値に影響が出るらしい。健康診断のとき、急いでたから早歩きしたのが悪かったのかもしれない。(本当は走った)

最近もらってる休みのうちに読んでしまいたい本が多いので、喫茶店でも探そうかと思い、そのまま池袋に移動。

あまりの寒さに西武に入るとピエールエルメが目に入る。ジャスミン風味のマカロン、なくなっちゃったんだよなーと残念に思いながら見ていると、何と、ある。反射で買ってしまう。何だか前よりジャスミン風味が強くなった気がするね

本を読みたいといいつつ、病院で2時間くらい待っていた間にかなり読めたので、どうせなら映画を見るというのもありだなとトーホーに行ってみる。トーホーシネマズのコーヒーはやたらおいしいと最近気づいたからである。東口をトーホーシネマズに向かって歩いていると、どうもアニメイトが拡張されている。その周りのビルもアニメの展示をしているし、アニメイトのカフェトラックまで出ている。池袋東口はいくら何でもアニメイトを中心に街が作られすぎている。

カラオケ行こ!にかなり惹かれるも、ウィッシュの表示を見て、ワンスアポンアスタジオ(限定同時上映のやつ)を観なければ、と思っていたことを思い出す。

他の多くの人と同じように、私の幼少期はかなりディズニーと共にあったので、どうせなら観たいと思ったからだ。(そしてディズニー+に加入する予定はなかったからだ。だってネトフリに加えて、全く使っていないアマプラの契約もそのままになっている)

グランドシネマサンシャインでしかその上映はなさそうだったので移動、券を購入、何と上映まで2時間弱あるのでまたコーヒーを探す。最近広告やツイートでミスド関連のものが回ってくるから久しぶりにミスド行きたいな〜と思っているとちょうどミスドがあり、イートインも空いているので入る。限定の奴は何だかそそられず、ココナツチョコレートもゴールデンチョコレートもなぜか置いておらず、ハニーチュロも人生で食べていい個数を超えてしまって、その上私はポンデリングを食べると気持ち悪くなる体質(ポンデアレルギーだと思っている)を持っているため、トングを手にして完全に迷子になる。母がエビグラタンパイ過激派だったので、エビグラタンパイがパイの正解だと思っていたが別のパイがあることにここで気づき、購入する。でも甘いのも食べたいな〜と思いチョコエンゼルフレンチも買う。お腹空いてるんだよな〜と考えてたらレジでホットドックも頼んでいた。最近自分の食欲が怖い。幸い、ドーナツは不況で小さくなっていたのでちょうどよかった。左手に受験生を、右手に大学生らしい2人組を眺めながら食べていたが、途中、右手の大学生が「GoogleってGoogleって調べたら出る?」といってて度肝を抜かれた。

映画館あるある「チケット売り場の階にあるフードのカウンターにながーく並んで何か買って、別の階に行くと空いているフード売り場がある」を今回もやる。

ミラベルと魔法の家も、モアナも、そういえば観ていないなぁと思いつつ、エスカレーター(映画館のエスカレーターって何であんなに長いんだろうね)でコーラゼロsサイズと一緒に運ばれて、微妙にガラガラの劇場についたのだった。

以下、ワンスアポンアスタジオ、ウィッシュのネタバレを含みます。
【1/30 編集済】

ワンスアポンアスタジオ、3Dアニメも2Dアニメもみんな同じ画面に集まっていて凄かったし、わかりやすいセルフパロディたちの中で、そう言えば昔これを観た気がするみたいな微妙な記憶も掘り起こされて、すごかった。普段擦ろうともしないようなとこにある記憶を思い出す時って、匂いを嗅いで誰かや何かを思い出す時くらい、当時の感情と新鮮に繋がる感じがする!私は「リアイアブル爺さんの話はまだしてなかったかな?」と言いながら通り過ぎるわんわん物語のおじいと、最後の写真に映る小さい飛行機に幼少期の記憶がワッとなってすごかった。

ディズニーの顔を見るミッキーの時に「鳩に餌を」が流れるのも……

それから、ラスト、星に願いををみんなで歌いながら問題解決をしているとき、「人は誰も1人」と言いながら皆が手を取り合う中でムーランとティアナと白雪姫が手を繋ぐ、というシーンがあった。これからのディズニーの姿勢というのと、いままでもスタジオ内で国籍関係なくみんなで手を取り合ってきたヨ、ということなのかな〜と思ったりしていた。

洋画は字幕で観たいのだが、もうワンスアポンアスタジオ付き上映は吹き替えしかなかったので、吹き替え版を観ていた。
ワンスアポンアスタジオについては幼少期の吹き替え版で見ていた映画のセリフが、吹き替え声優もほぼそのまま再現されていて、嬉しかったのだけど、ウィッシュが始まって、2秒で吹替版を選んだことを後悔した。

でた〜〜日本語版になるとでてくる謎フォント〜〜〜と思って後悔した。
でも昔より元の字体の雰囲気に合わせる努力がされていてマシか?などと思いつつ、観た。

急に時系列関係なくなって悪いけど、言いたいことありすぎる。

・やっぱり「記念」「ミュージカル」アニメーション映画なんだな!という気持ちでした良くも悪くも。エンタメ映画ではない。株主総会のパワポを映画にしたかんじ。今後の方向性はこれです。を抽象度上げてやっていた感じ。

・出演の動物たちみんな過去作に元ネタいるっぽくて、過去作由来の作画になっていて、すごいんだけどめちゃノイズな気もしていた。記念映画だから仕方ないか。

・スターいくら何でもスーパーマリオギャラクシーのチコちゃんすぎるだろ。

・歌部分の翻訳、母音合わせ優先しすぎじゃないですか……?「この願い」の元歌詞にはSo I make wishってフレーズが、動詞を含むものとしてあるからこそその後、星が願いを受けて降りてくるという展開や、後半の王の「お前の願いは叶ったか?」というセリフに繋がってくるのではと思うのですが……元歌詞の直訳だと「今私たちにあるものよりたくさんのものを手に入れるために、願う」だと思うのですが今の日本語詞「この願い 今日よりもっと輝く」だと、「願い(しかもキラキラした描かれ方をしているので余計に誤解を招く)」そのものの輝きが強くなる、という印象にしかならないけど、これってそういう話じゃないと思う。モーラに含まれる意味合いの数が全然違うから仕方ないけど……

・あの、2Dアニメーションのディズニーの背景絵柄のまま動いているのすごすぎる!!!!奥行きがある。2Dなのに。「この願い」でアーシャの髪が夜空に靡くところ、白雪姫みたいな質感の背景なのにぐるってカメラが奥に回り込むから頭が混乱した。混乱したけどすごいことだけはわかった。

・曲良すぎる

・ヤギ可愛すぎる、ロバにしか見えないけど

・本燃やした時点で、どれだけバックグラウンドあろうが悪役!!

・舞台が「いろんなルーツの人が集まっている国」であることが明かされた直後、新しくやってきた人たちを迎えたアーシャ(主人公)が3人の入居者それぞれに「オラ!(スペイン語)、サラーム(アラビア語)、シャローム(ヘブライ語)!」と挨拶をしたのに、びびった。街の人たちの姿形や服装も、できるだけ多様であるように書かれていた。し、人種や属する文化圏だけじゃなくて、身長や体格、障がいの有無についてもできるだけばらけるようになっていた。そして、主人公にはそばかす、女王には目立つところに大きなホクロがあった。今まで、そこにある/いるのに、ないことにされていたものたちが、「古き良き」ディズニーの絵柄の世界で、動いている!!!というのが個人的にデカ目感動ポイントだった。


セルフオマージュの数々で喜んでいたけど、セルフでオマージュしながら、すごく反省しています、変わっていきます、次の100年、っていうことを示したいんだろうなと思った。
今まで、魔法が夢を叶えてくれる!という旨の物語を作り続けてきた側が、「人々を抑制し、夢を叶える という口車に乗せていいように使う白人中年男性の魔法使いの悪役」を出してくることってめちゃ反省だと思った。それに対して、わかりやすく多様に描かれた民衆が、自分の夢を魔法に委ねるのではなく、待つのではなく、より多くを望んで自分たちで叶えなきゃと歌いながら革命を起こして権力を持つ魔法使いを封印するの象徴的すぎる。

前述の「この願い」の歌詞の部分、今までディズニーの「夢は叶うのよ」の夢部分はファンタジーみがあったけど、「今以上のものを私たちにください」はかなり切実というか現実味が強いし、民衆が権力者に対してそれを唱えることってかなり政治味が強い。信じれば夢は叶う、というセリフがアニメーションに乗せて囁かれるにつれて、夢の叶う根拠はどんどん「魔法」や「ファンタジー」に回収されていってしまったけれど、結局、ウォルトのいうところの夢は叶う、は「思い描けないことは叶えられない」という現実の裏返しでしかない、ということを印象付ける物語と歌詞だった。日本語訳だとその意味は息を潜めてしまっているが。「星に向かって願いを唱えれば、魔法の力で空も飛べるよ」と比喩として子供に語り継ぐ中で、比喩のファンタジーさに回収させ続けてしまったディズニーにおける「夢」のありようを、もともとウォルトが唱えていた『「夢」「のぞみ」を持つことは現状に甘んじることなく、何をすべきかを考えて自らの手で現実を変えていくことで手に入る』という意味に近い内容に戻して伝えたい、という作品だと思った!!「この願い」の作詞にはウォルトもクレジットされているし。なんか何回も同じこと言っているな。

プリンセスじゃなくて、白人じゃなくて、そばかすのあるドレッドヘアの普通の女の子(働き始めてもいて、正義感があるけど心も普通に折れそうになる)が主人公で、その子にみんなが「君もフェアリーゴットマザーになれるよ!」と声をかけているのが、黒人のアリエルを見て喜ぶ黒人の女の子たちを思い出させた。
そのシーンは、今までディズニーが無視してきた子供たちは王族の血統じゃないし、もう働き始めるくらい大人になっているだろうし、社会の中で魔法の杖は、理想は一度だけでなく何度も折られてしまうけど、プリンセスじゃなくて「フェアリーゴットマザー」になって、人の夢を叶えることすらできる力を持っているんだよとエンパワメントしているように見えた。魔法の力も授かるものじゃなくて練習して手にするものだとしていたし。

反省と謝罪を交えているけれども、相変わらず熊が人もバンビも殺さない理想郷みたいな世界だし、主人公の理想をみんながなんだかんだ理解してくれるし、理想論みたいな筋書きだと思った。(あんなに支持されてた王様に対してのクーデターにみんなが結構簡単にのるし、一枚岩になるのが人間一番難しいのに)
それでも、理想を語れないって終わりだし、アリスでヤングオイスターが食べられたのを観た5歳の私はトラウマになったし……誰も死なず、動物も食べられず、歌を歌ってみんなが団結して、悪をくじき、友人の気の迷いも反省すれば許してあげて、悪役もせいぜいカビ臭いところに置かれる。これでディズニーはこれでやっていきますという、そういう理想を言っていこうという話だった。今後はこの理想でやっていきますという話だと思った。

ただ、理想を語るにしても、思ってもいない理想を語って金を稼ぐのは恥ずべきことだ。
ワンスアポンアスタジオのプリンセスたちが手を取り合うシーンを見た時も、シャロームと挨拶する主人公を見た時も、全体主義を体現した役が悪役として描かれている時も、民衆が立ち上がる時も、ずっと、なぜこれを作る人たちの選択があれなんだ、こう思っているならイスラエルに寄付をするな、イスラエルに寄付をするならこんなことを私たちに言ってくるなと思ったよ。決意も感動も全部それにしか回収されないよ。今までもずっとディズニーのことを最悪の巨大資本だと思っていた人たちはいるだろうけど、それでも私にとっては自分の情操教育に大きく関わってきて、いい思い出もたくさんある企業でブランドでキャラクターで物語であった。100年分振り返りながら改めて、今まで語られてきた理想の世界は全てお金儲けのためだけだったんだなと実感させられる時間だった。仕事だからそりゃそうだけどその中にも「こうあれ」と祈りがあることが誠実さだと思う。あるいは本当に、アニメみたいに世界の中に含まれているひと、いない人を選べると思っているのか?

現場で手を動かしている人たちは本当に理想を語って叶えていこう、平和な世界にしていこうと思っているのかもしれないと思えるからこそそれが嬉しい気持ちと、実際に企業としての活動がそれを無に、むしろ大きくマイナスにしているというのもつらかった。

ぐだぐだになってしまったけど結論、ディズニーアニメーション100周年を記念する作品として、メッセージは伝わってくるしすごく素晴らしいしよくわかったけどそれを企業が全然体現してなくてカス!!!!!!!!!!!!!!最悪だよ。株主総会の映画だからこそ裏切っちゃいけないと思う!!

書くのにすごい時間がかかった。バカみたいな理想だからこそもっと信じてたかったよ!

寝る

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