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特別

みなさん、飲んどりますか、にーとです。
今日もみなさんと同じ夜を、のんべんだらりと過ごしていこうと思います。

奈良にいたころ、医者の子の友人がおりまして。
家がとにかくデカくて、何部屋あるのかわからないぐらいの家で。
今はどうなんだろうか、当時は学校でツベルクリンやらインフルやら破傷風やらの注射を打っていました。
みんな列に並んで自分の番を待つ時間は、叱られる順番を待っているような不安でいっぱいだったことを思い出す。
そんな不安な列に並んでいる最中、ふと、アイツがいないことに気付く。

医者の子がいない。

今思えば親の病院で受けていただけなのだとわかるが、その当時の俺は、彼が羨ましくてしかたなかった。
この不幸から逃れられる術を持っている、現代で言うところの「チート」を感じた。親が医者だからこの不幸に参列せずに済むのかと思うと、妬み以外の言葉が見つからない感情になったことを記憶している。

対して、うちの父さんはサラリーマンで団地住み。なんでうちの父さんは社長じゃないんだ?なんでデカい家に住むこともできないのか、なんで俺は嫌で嫌でしかたない注射を受けなければならないのか、そうか、うちは貧乏だから仕方ないのか、彼のように『特別』にはなれないのか、なぜなら父さんがサラリーマンだから。

しかし、サラリーマンの家庭で育った俺は、切り分けてもらったスイカとメロンの色味が濃く甘くて美味しいところだけを食べ、種の無いデラウェアを好み、夏でもミカンを剥き、なんでもない日にケンタッキーをむさぼり、焦げが気になるから母さんの揚げたコロッケを不味いと言った。

なにを書きたいかはここまで読んでもらえばわかるでしょう。
季節の果物が家にある、否、季節関係なく俺が好きなものが家にあった。
ハレとかケとか関係なしに、俺が好きなものが家にあった。
俺が喜んでくれたらいいなと思ってコロッケを揚げてくれる人がいた。

用意した『特別』を、当たり前と錯覚するほど平凡にできるのは、愛でしかないですね。

一人称で生きてきた。俺がどう思うか、俺から見える世界に対して俺はどう向き合うのか、どう攻略していくのか。そこに親から見た自分、という客観的な視点は存在せず、自分がどうやって『特別』に近づくかのみが人生の命題であった。

自分のことしか見ていなかったから気づかなかった、いや、知っていたけど改めて言葉にすることを恥ずかしがっていたし、認められなかった。
わざわざ手作りしたコロッケを不味いと言われた母さんは、傷ついていないと思っていた。サラリーマンである父さんのことを蔑むようなことを口にしても、傷つかないと思っていた。
同じ人なのにね。

まだまだ若輩ながらも、年をとった。
自分が欲しくて欲しくてしかたなかった『特別』は、ずっとずっと近くにあって、近すぎてありがたみを感じられなくて、感じられるようになった時には、人によっては手遅れで、でも幸運にも俺はまだ感謝できる距離に居ることができる。

これは『特別』なことなんだと、感じて、抱きしめて、生きていきましょう。


節約のためにエアコン切ってOS-1飲んでるって親が言ってたら気を付けて!
腎機能やられるから、OS-1は所ジョージに許可貰って飲んでねぐらいの嘘言っていいからエアコンつけさせなよ!


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