オタクは全部重いので粘着質でベトベトしてるから好きじゃない。

はい。最近は寛解状態が続いていたのでアドベントとか作ったくせに後半の一週間ぐらいサボったで有名な結城かえでです。


さて、今回は坂口安吾がいかに素晴らしいかというノートの下書きを差し置いて安達としまむらがなぜここまで称賛されるのだろうかという考察を行う

___


安達としまむらの本質は百合ではない。この事実に読者諸氏は反感の位を示すかしれないが、幾ばく化の文章。少し読んで見ていただきたい。


安達としまむらの本質的な描写はあくまでプラトニックラブというか、古代ギリシア的な、プラトン曰く「愛の奥義」はローマン的な、精神的な奥義が描写されていることに限る。

これは、どう頑張っても異性交友的な・異性交友に基づく肉欲によっては描写し植えない

___

その観点からすれば安達としまむらはとてもうまく描写されている。その点が非常に評価できる。

恋愛番組においてしても、あいのりにしてもバチェラーにしても、恋愛をなんたるやと語ることが出来るならば、こんなうじうじというか腐りきったいんいんたむしの原因菌みたいなひねくれをやらなかったのだろうと思う

___

たちどまったと思っていても、万年走り続けてしまっていて、体を壊すことも会館の一種というか、事故の破損を甘んじて受け入れてしまう元王がある。共依存性を求めて胆汁ンな。あるいは一方公的な依存関係を持て目てしまっている元王は言い逃れがしようがない。


鍼灸して足立は数日間会話すらしなかったようであるけれど、それに耐えうる精神状況というのま、悲しくとも同情しうるものである。安達はしまむらだけでいいと決心したのだけど。自分はそれが出来るか。いやできたか?

現状で守りたい人間関係が大学にあるかどうかといわれたらまったくないのでこの詰問は、最もおろかで、無意味なものになりうるこというのは死ねば白骨なのと全く同室なもので、当たり前に時期に失うものを担保に加えられても、その恋愛感情は生成変化しうるものだし移ろいゆくものである。それを質屋の担保にするなどひどく滑稽なことに思われるい。

じゃあ6年ぐらいずっと恋愛感情に支配されている自分はどうなんだという割れてもしかたがない。

ああ。かなしかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?