愛猫を看取った話
友達にもなかなか話せる内容じゃないからここで見知らぬ人に読んでもらいたい。
10月6日の深夜、愛猫が息を引き取った。
7歳2か月だった。
猫の名前は大福。
他県で暮らしていた私が再度の転職で実家に戻る一ヶ月前、家族が動物愛護センターから引き取ってきた。当時推定二カ月。
私が帰宅したその夜から私の布団で寝るようになり、そこからずっと大福の一番は私だった。
トイレにはついてくるし、毎晩決まった時間に腕枕を要求するし、私が呼べば来てくれる。
ただオスだからかちょっとした隙間から脱走し数日返ってこない事もあった。
どんなに気をつけても大体半年に1回は脱走して、そのたびに私は食欲不振に陥り、まともに寝れなくなっていた。
大福は、3歳の時に食欲不振で病院に連れて行ったら腎盂炎になっていた。
「この若さではありえない数字だから生まれつき腎臓が悪い子だね。食欲が落ちたらすぐに連れてきてね」
と先生に言われた。
それから大体年に一回食欲不振になっては数日間輸液してもらっていた。
そうすればケロッとしていたからこのままずっと一緒だと思っていた。
10月3日、私が仕事に行ってから4〜5回吐いたと家族から連絡があった。
その日は病院が休診日で、4日の朝一番に仕事が休みだった母に連れて行って貰った。10時過ぎ、ラインがきた
「もうおしっこも作れなくなってて、よくもっても3日くらいだって」
心臓が冷えた。仕事が手につかないが投げ出すわけにはいかず、定時ですぐ帰った。
大福はリビングの端っこにうずくまっていた。チュールは食べるがお水はスポイトでもっていっても飲まなかった。
20時過ぎ、少しよろつきながらいつもどおりに私の脇に挟まりに来て、一時間ほどでまたリビングに戻っていった。
5日の土曜日、先生からは毎日連れてくるよう言われていたから見るからに弱っている大福を、ただでさえ嫌いな病院に連れていくのが辛かったがプロには従うべきだと連れて行った。
昨日の輸液が吸収されてなかったから、利尿剤と抗生剤を注射した。その日の大福は1日同じ場所でひたすら横になっていた。
夕方から水を飲むようになったがもうご飯は受け付けなかった。
できる限り様子を見て、声をかけ、撫でた。
6日の日曜日、私は朝から友人と映画に行く予定だった。
かなり迷ったが、すでにチケットを買ってくれてあることもあり、出かける事にした。
早朝家事をしていたら、大福が自動給水器の前まで這うように来た。後ろ足はもうきかなくなっているらしかった。
なんとか水を飲もうとして、その場に崩れ落ち悔しそうな悲痛な声で鳴いた。
慌てて駆け寄り、抱き起こして給水器の前に顔を近付けた。必死になって飲んでいた。
一息ついたところで、またいつでも飲めるように給水器の側にそっと寝かせた。
あとを母と妹に任せて、後ろ髪引かれながら家を出た。結局気になりすぎて電車を乗り過ごし、話がはいってこず、友人に打ち明けて早めに帰宅となった。帰りの電車もぼーっとしすぎて一本逃した。
帰宅したのは16時少し前だった。
大福はまだがんばってくれていた。まだ意識はあり、私をみてにゃあと鳴いた。
20時を回ったころからはいよいよ呼吸が荒くなってきた。
多分今夜だ、と思った。
23時まで側にいて、声をかけ、撫でた。22時まではしっぽで返事をしてくれていたが、23時にはもうただ口で呼吸をするだけになっていた。
24時、大福の側に布団を敷いて目を閉じた。一時間ほどで目が覚めた。
大福はまだ息をしていたけどもう不規則になっていたし身体は冷たくなりかけていた。
あとはただ、たくさん声をかけ、撫でた。
二時少し前、大福の呼吸が止まった。
身体を拭き、お気に入りの膝掛けに乗せてやり、目を閉じさせて、3時過ぎに少しだけ寝た。
翌日、半休をとり、ペット葬で見送った。
看取った時は泣かなかったのにセレモニーでは涙が止まらなかった。
今、大福は骨になって仏壇にいる。
父も大福が好きだったから多分迎えにきてくれたと思う。
ところで10月10日からは母の入院がきまっていて、そんな時にこれだったから本当にしんどかった。
弱り目に祟り目すぎる。
もうたまに外泊してはヘソを曲げられたり、カリカリごはんの袋を咥えて仏壇のうらに隠されたり、脱走の心配をしなくていい日々がさみしいよ