親密感への恐れが依存心を作り、重たいウザい女になってしまう心理。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「親密感への怖れが生み出す依存心と、それゆえ重たくウザい女になってしまう理由と対策について考察する。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日は沖縄の読谷村というところにある宿にて収録しております。

昨日から沖縄はちょっと曇り空で、今日はしかも涼しげでございますけども。

ちょうど部屋から海が見えるんですけど、海が見えるっていうのはやっぱり最高だなと思いながら、今日も普通に仕事をしております。

今回は執筆を抱えての、もともとそういう予定だったので、家族は今ちょっと外出してくれてるんですけども、おかげで部屋に残って仕事をさせてもらっております。

皆さんいかがゴールデンウィークをお過ごしでしょうか。

ということで、今日は恋愛の話になりますかね。

基本編みたいなものなんですけども、「親密感への怖れっていうのは依存症を作り出して、重たくてウザい女になっちゃう」という、まぁ女に限らず男もそうなんですけども、そんなお話をさせていただきたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

そして、フォローとかチャンネル登録もぜひよろしくお願いします。

ということで、「親密感への怖れ」っていうテーマは、パートナーシップではとくに出てくるテーマでございまして。

さまざまな原因というのがあって、今までもこちらでもお話をさせていただいたかなと思ってるんですけども。

とくに親子関係っていうのがけっこう大変だったと。

子供時代・幼少期にすごく辛い思いをしましたとか、けっこう大変だったっていう方は、やはり1番近い距離感であります親子関係において、ちょっと痛みを背負っているので、それがパートナー・好きな人と距離を縮めていくっていう段階でもやっぱり出てきてしまうと。

出てきてしまって、より親密な関係になることを怖れるっていう、親密感への怖れっていうのが出てくるわけですね。

で、それをカウンセリングの中ではそもそも論として、「じゃあ親子関係のトラウマを癒やしていきましょう」みたいなふうなアプローチっていうのをしたりするんですけども。

今日はそういった話も若干触れつつですけども、「親密感への怖れっていうのが重たい・ウザい女にしてしまう」っていう心理を語ってまいりたいと思いますので、興味ある方はこの先も聞いていただけたらなと思います。

親密感への怖れっていうのがあると、これは恋人・好きな人とだけじゃなくて、友達であってもそうなんですけども、ある程度まで仲良くなってきたりとか、仕事上の付き合いとかは全然オッケーでむしろ得意なんだけども、特別な距離感になってくれば、なんとなくその関係性がうまくいかなくなったりとかするので、ある程度ちょっと距離を置いて付き合うっていうことをしがちなんですね。

これは大人であれば誰でも少なからず持っているものなので、決して特別なものでもないんですね。

ところが、その親密感への怖れっていうのが、いわゆるパートナーシップを築くような、そういった距離感で出てしまうと、なかなか恋人ができないとか、体だけの関係になっちゃうとか、いい人がいるんだけど全然近づけずに平行線をたどってしまうとか、そういった問題になってくるわけですね。

で、カウンセリングではそんな話をよく扱うと。

仮に結婚するっていうことができたとしても、夫婦仲にいろんな問題が出てくるという特徴があったりするわけです。

で、その親密感への怖れがあると、距離が近づいてきた時にやっぱり怖いわけですから、いろいろ考えちゃうんですね。

で、不安にもなるし、そうやって考えたことによって、いろいろと自分の中の気持ちっていうのを溜め込みやすくなってしまうわけです。

たとえば普通に「会いたいな」って思うとするじゃないですか。

で、「会いたいな」っていう気持ちを、そのまま素直に「会いたいな」って言って表現できれば、これは可愛いとか素直だなっていう印象を与えるんですけども。

親密感への怖れが出てくると、「会いたいな」って言って拒否されるのが怖いわけですよね。

それに、会いたいけど会えなかった時に辛いっていうこともありますよね。

なので、僕たちは防衛的にそこで動いていくわけです。

たとえばですけども、「察してよ」という感じでオーラをバーっと出して、「私があなたと会いたいっていう気持ちを察してよ」みたいな感じで匂わせたりとか、そういうオーラっていうのを出してみたりするけど、相手は気づいてくれないと。

そうすると、会いたいけど会いたいって言えないし、実際会えないので、不満が溜まっていくっていうような仕組みがあります。

たとえば別の話で言えば、「会いたいな」っていう気持ちをストレートで言うのが恥ずかしいっていうケースもありますね。

これも怖れが作り出すんですけども、恥ずかしいので我慢してしまう。

でもやっぱり気づいてほしいと思って、不満が溜まっていくっていう場合もあるし、逆に恥ずかしいが故に、「会いたくないわよ」みたいな感じで、反対のことを言ってしまって自分から距離を取らせてしまうなんていうこともあって、ここに自己嫌悪が新たに生まれるっていうこともあります。

それから会いたいけど、自分に自信がないとか、愛されることなんて想定できないから、会いたい気持ちを我慢し続けることによって、やっぱりニーズが溜まっていって、やがて爆発してしまう。

「どうせ私なんかと会いたくないんでしょ」みたいな嫌味を言ってみたりとか、いきなり怒り出してしまったりとか、相手の気持ちを無視して、相手に対して暴言を吐いたりみたいなことになっちゃうっていうこともあるわけですね。

我慢しすぎっていうことになったりします。

つまり、会いたいっていう気持ちを素直に出せずに、結果的に心の中で溜め込んでいくわけですね。

溜まっていった結果、そういう爆発をしたりとか、相手にぶつけてしまったりとか、それから嫌味を言ったりとかっていうような、そういう行動に出てしまう。

これは思い当たる方もけっこういらっしゃるんじゃないかと思うんですね。

で、さらに頭の回転が良いというか、すごく考えるタイプの人っていうのは、会いたいっていう気持ちをそのまま表現せずに、会わずにいられないような状況とか、相手に「NO」と言わせないような、そういう言い方をしたりとかして、相手を追い詰めてしまうっていうこともあるわけですよね。

なんか用事を作って、どうしても会わなきゃいけないような環境にしてみたりとか、場合によっては脅迫みたいなことだったり、脅すわけですよね。

でもそんなことして会ってもらえたって嬉しくないわけですから、そこでもやっぱり不満も溜まるし、もちろんその一方で罪悪感っていうのも出てきたりすると。

つまり、「会いたいな」っていう気持ちだけじゃないですよ。

これは自分の欲求なんですけども、依存的な心理っていうふうに言ってもいいんですけども、この依存が悪いわけではなくて、その依存っていうものを自分が嫌ってたりとか、受け入れなかったりとか、ダメだと思い込んでいることによって、素直に「会いたいな」っていう気持ちが出せずに、そのまま出せば可愛いところを、重たいとかウザいとか、めんどくさいとかっていう女になっちゃうっていうのが、要はその真相なんです。

つまり、溜め込みすぎとか考えすぎっていうのは、ここに原因があるわけですね。

で、とくにそういう溜め込んでる時って、我慢してる時っていうのは、自分の中でずっと会いたい気持ち、そのニーズが溜まっていくわけですから、どうなるかっていうと、どうしても相手を見ることができずに自分を見てしまう。

自意識過剰・自己中みたいな状態にならざるを得ないんですね。

「相手」を見るのではなくて、「自分」に意識が行ってしまいます。

だから、どうしても自分が中心の世界っていうのを作り出してしまって、そこに相手の存在がない、相手がもう見えていない、相手のことをスルーしまってるような状態っていうのができるわけですね。

これが関係性においてはちょっと厳しいところがあって。

結局は自分の心・自分の気持ちにとらわれているので、相手の様子が見えないんですね。

で、そうすると、「どうせ会いたいって言っても会ってくれないんでしょ」みたいな感じで言った時に、相手の人の反応とか、それを言った相手がどう思うかとか、相手がそれに対してどういう反応をするかっていうことが想定できずに、自分の気持ちに暴走してしまうっていうことになるわけですね。

なので、この辺りの解決方法っていうのは、もちろんいろんなレベルであります。

深いところまで言えば、その親密感への怖れの元を断つっていうことも大事で、親子関係だとか過去の恋愛のトラウマみたいなところを見直していくっていうのもカウンセラーとしてはやっていくんですけども。

じゃあどういうふうにすればいいのかって、表面的な意識というか、まずどこから取り組みましょう?っていうところで言えば、自分ばっかり見てるわけですから、「相手に意識を向けましょう」ということを提案することが多いわけですね。

つまり、「どうしたら相手の人が喜んでくれるのかな?」とか。

「私が与えられるもの、私が彼に与えられるものってなんだろうな?」とか。

「自分と一緒にいることで、相手が得られるメリットってなにかな?」とか。

そういった「与える」っていう意識、自分から相手に与えていく。

親密感への怖れっていうのも、どういう過程をとろうとも、最終的に自分から近づく、自分から与えるっていうのが非常に大きな鍵になります。

待っているっていう状態だと、受け身になってしまった分だけ後手に回りますし、せっかく誘ってもらえたのに喜べないとか、「無理やり私が言ったから・・・」みたいな感じで解釈しちゃったりとかするので、自分から与えるって意欲っていうのを持つっていうことがすごく大事になってくるんですよ。

だからこそ、「自分がなにを与えられるのか?」っていうことを、ちゃんと受け取っておくっていうこともすごく大事になってくるんですよ。

っていうのが、今日のお話でございました。

最後まで聞いていただきまして、ありがとうございました。

根本でした。

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