善意が悪意になる!?よかれと思ってやったのに。
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「友達がDVに遭っているので警察に通報したら相手が激怒したらしいのですが?~自分軸で友達と付き合うことの大切さ~」
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どうもこんばんは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで今日は人間関係、とくに友達とか仕事、家族の中でも、パートナーシップでもけっこうよくあるお話じゃないかなと思います。
「こちらとしては善意だったのに、相手には悪意として捉えられてしまった」というような、ちょっと切なくて悲しいお話でございます。
よかったら最後までお聞きください。
今日はまたブログの方にいただいたネタというか、リクエストを元にお話させていただくんですけども。
僕たちの人間関係の中では、自分としてはよかれと思ってしてあげたことが相手にとってはすごく悪意として捉えられてしまったみたいなことっていうのはけっこうあるんじゃないかなっていうふうに思ってます。
皆さんいかがでしょうか。
体験したこともあるんじゃないかなと思うんですけども。
それはとても悲しいことだし、怒りも湧いてきたりとか、寂しいし、みじめになったりとかね。
あとなんか「自分の言い方が悪かったかな」とか「やらんかったらよかったな」みたいなことってよくありますよね。
たとえばですけども、よかれと思って相手の仕事のやり方に注意した、後輩のやり方に注意したら相手がすごく不機嫌になってしまったとかね。
よかれと思っていろんなことを教えてあげたら、相手が逆ギレしてきたみたいな感じだったりとか。
今日の内容はちょっとヘビーな内容だったんですけども。ブログのほうね。
警察によかれと思って通報したら、相手はどうも逆上したみたいな話もあります。
自分としては相手を喜ばせようとしたとか、相手を助けようとした、相手を安心させるとか、すごくそういったポジティブな気持ちを持ってやってるんだけども、なぜかそれが違う意味に取られたりとか、お節介だったりとか、干渉されたように感じて逆ギレされるとか、そういうことって起きてしまうんですけども。
けっこうよくこういう話っていうのはチラチラ出てくるんですよね。
よかれと思って資料をまとめてあげたら、先輩からすごくキレられたみたいなね。
「それ俺の仕事なんだけど!!」みたいなことを言われたりとかね。
で、そうなった時に「ごめんなさい・・・!」みたいな感じになっちゃうことって多いと思うんですよ。
とくに善意でやってるわけですから、相手を怒らせたりとか傷つけたりとか困らせたいと思ってやってるわけじゃないだけに、その相手の反応にびっくりしちゃって、そこから自分を責めたりとか、自分のなにがいけなかったんだろうかとか、やっぱりやらなかったらよかったんだろうか・・・みたいなことを考えちゃうと思うんですよね。
それ自体がすごくいい人っていうか、優しさの表れだったりするんですが。
でもやっぱり、「どう処理すればいいのその気持ちは・・・?」っていうふうになってきたりすると思うんですね。
で、とくに親しい間柄だったら、よかれと思って言ったりやったりしたことが、相手からすればすごく悪意に取られてとられてしまうっていうのは、どうしていいかわかんないっていう状況になったりするんですけども。
僕としては、悪意がないというか、もちろんよかれと思ってやったんだったら、まぁそれはもうしょうがないんじゃないの?っていうふうにやっぱり思っちゃうんですよね。
で、この辺は非常に「自分軸」っていうところがカギになってきまして。
自分がよかれと思って相手にやってあげたこと、でもそれを相手がどう受け取るかっていうのは相手にチョイスがあるわけですね。
喜ばせようと思ってしてあげたことを、相手がそれを「やったー!」って言って受け取ることもできますし、一方で不快に受け取ることもできます。
それはその時の相手の状態っていうのにもよりますよね。
もともと不機嫌だった時になにかしたら、逆にそれがキレられることになったりしますし、近い距離だったら、すごく自分に甘えるという意味で怒られることもあったりしますし、相手が恥ずかしくなっちゃって、それでそういう態度を取ったりっていう。
結局相手の状況によって、その結果っていうのはある意味左右されちゃうと思うんですよね。
だから自分がよかれと思ってやってるんだったら、まぁそれはもういいんじゃないの?と。
それは相手がどう受け取るかっていうのは、もう相手にお任せみたいな感じの意識でいないと、そこまで考えてそこまで読んでやるっていうのは非常に難しいことだと思うし。
だったらなにもしないほうがいいっていう、またこれもこれで問題なってきちゃうわけですけども。
やっぱりそういう心境・心理っていうふうになってしまうわけですよね。
だったら、もう相手にお任せと。
自分としてはよかれと思ってやったんだから、それを悪意に取ろうが、善意に取ろうが、それは向こう次第だと。
大げさに言えば「自分には関係ねぇや」くらいのポジションに立っていた方が、僕はメンタルが健康的に過ごせると思っているわけですね。
しかもこれがいろいろ状況によっても変わるわけですけども、相手自身の心理状態が変化すれば、受け取り方が変わるっていうこともあるわけですね。
たとえば自分が善意でなにかしてあげた時に、相手がそれを悪意と取って怒り出したとしますと。
でも相手もその時は怒っちゃったんだけども、しばらく時間が経ってよくよく考えてみたら、「あぁ、悪いことしちゃったな。せっかくしてくれたのにな、申し訳ないよな・・・。でもありがたいよな。俺のことを思ってやってくれてんだからありがたいよな」っていうふうに思い返すことっていうのもたくさんありますよね。
で、もちろんそれは何年もかかる場合もあれば、1日、2日後である場合もあると思います。
ということは、やっぱりその時だけの関係性・状況で判断してはいけないんですよね。やらなきゃよかったってね。
だったらもうちょっと長い視点、長期的視点に立って見てあげると、「いつかは届くといいな」みたいな気持ちでいられるんじゃないかなと思うんですね。
で、これは本当に優しい人とかいい人っていうのは、相手を喜ばせたいとか、相手を助けたい、力になりたいみたいな気持ちでなにかしてあげることってたくさんあると思うんですけども。
やっぱりそれっていうのは自分軸っていう考え方からすれば、「本当に私がしたくてしてること」「私がしてあげたくてしてあげてること」であって、相手は相手なんですよね。自分は自分なんですよね。
だから「それをどう受け取ろうがお任せよ」っていうスタンスにしておいた方が、やっぱり自分としても自分を責めなくて済みますし、せっかく善意なわけですから、もったいないですよね。
で、そういうことを気にして、相手の反応を気にして、「もうそういうことはやめよう・・・」っていうふうにするのは、なんかもったいないような気がしますし、それがあなたの長所をなくしてしまうことになったら、めちゃくちゃ損失だと思うんですよね。
だとするならば、やっぱりここで「自分軸」。
私は私。
相手は相手。
というところで、あくまで自分が善意としてやったんだから、相手には悪意に取られちゃったんだけども、まぁしょうがないなっていうふうな構え方でいる方が、僕はいいんじゃないなっていうふうに思うわけですね。
で、この辺って人間関係の中ではけっこうあって、その逆のケースっていうのもやっぱりあると思うんです。
相手が善意でやってくれるんだけど自分が受け取れなくて、それで結局こじれちゃったみたいなことっていうのもよくあります。
そうなった時は、できれば「あぁ、あの時悪かったな」と思ったら、「ごめんなさい」って言えるようになったら理想的ですよね。
で、やっぱりこういった人間関係っていうのは、今の善意・悪意だけじゃなくて、さまざまな点でこっちの人と相手の受け取り方が違うっていうことがよくあります。
そこを円滑にならしていくっていうのが、いわゆるコミュニケーションっていうもので。
コミュニケーションによって、その誤解を解いていったりとか、気持ちを伝えたりとか、受け取ったりっていうことができるわけですけども。
そういったコミュニケーションっていうものも、やっぱりそんな完璧にはできないわけですよ。
だからどうしたって、こういったすれ違い、気持ちのすれ違いみたいなことっていうのは起こるので、だからこそ自分としてはよかれと思ってやったこと、自分は善意なんだと、相手を喜ばせたくてやったことなんだと。
それが伝わらなくて悲しいし、寂しいし、ちょっと伝え方が悪かったな・・・みたいな、申し訳ない気持ちもあるんだけども、自分としてはオッケーと、自己肯定してあげてほしいなと思う次第です。
そういった感じで、こういった人間関係のちょっとした歯車の違いっていうのはけっこう出てくるんですけども。
だからこそ「自分軸」っていうことがすごく大事になってくるんですね。
自分軸関係の本っていうのがいろいろ出てまして、最近だとフォレスト出版から出てる「なぜあなたは他人の目が気になるのか」っていう本なんかもありますので、よかったらチェックしていただければなと思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
根本でした。
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