両親から愛されていたはずなのにその実感がありません!!~素直な自分に戻る→両親なりの愛情を受け取る2ステップ~

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「両親から愛されていたはずなのにその実感がありません!!~素直な自分に戻る→両親なりの愛情を受け取る2ステップ~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

今日の大阪はけっこうあったかいなーっていう感じなんですけども、皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか?

そしてもう年末ですね。今日は12月29日ですね。どんな年末を迎えていらっしゃいますでしょうか。

私は基本的に通常運転なので、普段の月末・月初とあんまり変わらない感じで毎年年末年始を過ごしているんですけども。今年もそんな感じでブログ書いといてね、こうしてYouTube撮ったりvoicy配信したりということをしながら年末年始を迎えたいなと思っております。

今日のテーマはですね、「愛されてるはずなのにその実感がない」というですね、テーマについてお話ししたいなと思います。

今回いただいた元ネタさんはですね、元ネタさんっていた言い方変だな。元ネタではですね、両親から子供のころ愛されたはずなんだけども、客観的に見れば愛されてるんだけども自分としてはその実感がないんですよねっていうお話をいただいたんですが。

これよくよく考えてみると、親子関係だけでなくですね、例えばパートナーシップで彼や彼女に愛されてる“はず”なんだけどイマイチ実感がないんですよねっていう話だったりとか、職場から評価されてるはず、あるいは良い職場でみんなも良くて、よくしてもらえている“はず”なのにイマイチその実感がないなぁ・・・みたいな、そういう場面でも結構出てくるのかなと思うんですね。

そういった時にどういう風に解釈と言うか理解して、受け取っていけばいいのか、という話を今日はさせていただきたいと思いますのでよかったら最後までお聴きください。

では両親からとかね、恋人とパートナーから愛されてる“はず”なのに、それを実感できないっていうところですね、ちょっと二つに分解してみると、“はずなのに”の部分と“実感がない”という部分と二つに分けるんですけども。

僕らは大人になると頭でものを考えるといか、思考的にそして客観的に分析したいとかするっていうことをやるので、

「いやこの親だったらとか、親は親でまぁ別に問題もなかったしお金も別に困ったわけでもないし、みんな仲良しだし・・・」

ということで、「まぁたぶん愛されたんだろうな」とか「客観的に見ればそう思うんですよね」とか。

たとえばパートナーも良くしてくれるし、そばにいてくれるしとかね、色々コミュニケーションも取れてるし仲いいし、周りから見ればいいカップルだねって言われるし。だから結構愛されてる“はず”なんだけど・・・というふうに思うような部分ですね。

これはもう頭で考えて客観的に分析してるって言うところもありますし、その時に基準になるのがですね、「普通は」とかですね、あるいはこういうネガティブなケースも。

例えばお金がなくてすごく大変だったとか、保育関係ね、暴言暴力があったとか。それからお父さんとかお母さんが他に恋人作ってましたとか、もういつも家の中が戦争状態でした、みたいなね。

でもそんな状況もなく・・・ていうことで、「うちは仲良かったよね」「まあ結構うまくやってたよね」何ていう話というところで、冷静に考えるとたぶん愛されたよねみたいな感じです。

ところが僕らってやっぱり「幸せ」ってのは感じるものなんですよね。

だからよくカウンセリングの中でもね、夫婦関係なんかの問題で「すごく幸せだと思うんですけど、この状況ってすごくありがたい、幸せだと思うんですけども、自分はそういう実感ができない」っていう話もよくいただくんですけども。

ようは実感がない。多分客観的に見れば幸せだろうとうまくいってるだろうとかね、愛されてるだろうっていう状況なんだけど、自分がそれを感じられへんっていう場合はですね、やっぱり感じられないので、幸せではないし、愛されてるとは思ってないって言うか、そういう点でも自分の問題もありますよ、ありますけども、自分自身ではそれは感じられないっていうところに真実を言えばそっちになるんですね。

だから変に思いこもうとしない方がいいんです。

まず一旦は「その気持ちを受け止めてあげる」って言うことが大事です。

「あぁ、愛されてる思ってたんだけど自分はその実感が無い。つまり愛されてなかったと思ってんだな」と。

パートナーがいろいろしてくれるし、いい子なんだけども、いい人なんだけども、でもイマイチその愛情表現っていうのが響いてないなとかね。

ぶっちゃけ言うと、幸せじゃないってことを受け入れましょうって。人によってはけっこうこれね、過酷な提案になるんですけど。

まぁとりあえず一回「幸せじゃないんだよ本当は」っていうことを受け入れちゃいましょうっていうのがまず一歩目になるのかなあと思いますね。

これはもちろんすぐ抵抗も出てくるし、なんかすぐ罪悪感を感じてしまったりとか、なんか悪い子のような、まぁ罪悪感ですかね、悪い子のように感じてしまったりするんですけど。でも、一旦それを認めてあげるって事が大事なんですね。

一度自分の気持ち。で、愛されてなかった。つまり逆に例えば寂しかったとか、つまんなかった、退屈してたとか、刺激がないと言うかね、面白くないっていうかね、そういうふうに自分が感じてるっていう事をまずは1回受け入れてみませんかっていうのがまず一つ目のステップです。

インナーチャイルドという言葉があります。親子関係とかの場合はそういった子ども時代の自分に「寂しかったよね」とか「つらかった」「よく我慢した」とかね、「いい子してて偉かった」とかね、そういう言葉がけをしてあげるとかね。そういうのもすごく有効です。

でもそれだけじゃなくって、やっぱりまず自分がそういう風に感じていたっていうことを受け入れてみましょうっていうのまず一歩目なのかなと。一つ目のステップなのかなと。

それで実感ができないっていうところについてちょっと触れて行くんですけども、これにもいくつかのパターンが考えられてて、まず「受取り下手だ」っていう場合。

不感症問題っていうのがあります。受け取りベタっていう問題がひとつあります。

これはですね、何に対してもたとえば思考的になりすぎたりとか、周りの目を気にしすぎて自分を喪失していたりとか、あるいは感情を抑圧して麻痺してロックマンみたいな状態になってる時っていうのは、実感・感じられないんですね。ハートが閉じてしまった状態です。

その場合は感情をもっと感じられるような方向性に自分を持っていくっていうのは一つの手で、映画や舞台を見たりとか泣ける小説とか見たりとか、あるいはすごく笑ったりとか怒ったりとかっていう感情表現っていうものに接してしていくっていうことがあって。方法はたくさんあるんですけども。

本当は愛が来てるんだけど自分がそれを受け取り拒否しているっていうケースですね。実感できない。

それは例えば別の理由で行くと、罪悪感がある場合っていうのがあります。

何か自分がすごく申し訳ないような気がして愛を受け取る資格もないよと、愛される資格はないよっていうことで受け取りを拒否して実感がないという場合もあります。

それから意外に多いというか今日も一つのテーマとしてお伝えしたいのは、「愛し方って人それぞれ違うよね」っていう話なんですね。

ある人は言葉で愛情を伝えます。

ある人はスキンシップとかで愛情伝えます。

ある人はお金とか物とかで愛情を示します。

ある人は見守るだけっていう愛情表現もしますし、「あんた大丈夫なの?」って心配するようなそういう形で愛情を示すって言う場合もあります。

愛情表現とほんと色々あって、その組み合わせって人それぞれなんですよね。

僕たちは、基本的に自分がしてほしい愛し方を人にします。

だから例えば「すきすき愛してる大好き」って言う人はそれを言って欲しいわけですし、そう言って欲しい人は、けっこう自分は言ってたりとか言いたい人であったりするわけですね。

そうすると例えば相手の愛し方が自分の愛し方とすれ違ってしまうって言うことが非常によくあって、もしかしたら親だったりパートナーだったり職場の人だったりの愛情表現というのが自分のストライクゾーンに入ってきてない、ずれてるんじゃないかなっていう見方をしてみるんですね。

どうしたらいいかって言うと、その人なりの愛情表現だなっていうことで、変換したりとかあるいは自分の守備範囲を広げるって言うことが求められてるわけですね。

なのでその人なりの愛情表現ってなんだろうなって考えてみて、それを受け取るっていうこと。受け取ってみようとすること。

「あ、この人なりに愛してくれてんだな」ということを認めるっていうことができると、徐々に実感が伴ってくるのかなと。

もちろん自分は愛してほしい愛し方があって、その通りじゃないんだけども、理解ができるだけでもだいぶ変わってくるかなというお話でした。

ということで最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

YouTubeをご覧のみなさまもありがとうございました。

今日みたいなお話でけっこうあるあるだと思いますので自分に置き換えて振り返って見ていただければなと思います。

そして、よかったらチャンネル登録もお願いします。

っていうことで、バイバーイ!

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