あれこれ考えても結論がでない理由は、、、。
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。
「論理的に物事を決めるタイプじゃないのにあれこれ考えてしまうのは向き合いたくない感情がそこにあるから。」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつも聞きくださいましてありがとうございます。
ということでYoutube・voicy的には前回に似たようなテーマになっておりますけども。
「答えが出ないことをあれこれと考えてしまうのはなぜか?そこにはもしかしたら・・・」っていうお話でございます。
よかったら最後まで聞いてください。
ということで、よくカウンセリングとかしてても「あれこれ考えすぎてしまうんです」とか、「ずっと考えてるんだけど答えが出ないんです」とかっていうテーマをいただくことが多くございます。
それはお仕事のこと、ライフワークに関すること、パートナーシップに関すること、子育てだったり親子関係だったりとか、職場の人間関係とか、さまざまな面であります。ずっと考えてますとか。
たとえば「自分はなにがやりたいんだろうなぁ、自分が本当にしたいことはなんだろうなぁ」っていってここ数年考えこんでますっていうようなお話もあったりしますし。
「彼との今後っていうのを、もうかれこれ半年以上も考えてます。これからどうすればいいかも。でも答えが出ないんです」なんていう場合があります。
で、「考える」っていう言葉って、実に多彩というか、いろんな幅が広いなっていうふうに捉えることができて。
一般的に考える「思考する」っていうと、理論的っていうか、論理的っていうか、けっこうそういった筋道を立てて考えていくっていうことが多いような気がするんですけども。
実際に使ってる「考える」っていうのは、なにかを思っている・漠然と考えてるような、こういうことを思ってますみたいなニュアンスっていうのも含まれるので、ちょっと論理的なことばかりではないかと思うんですけども。
ただ思考しているっていう、頭で考えてるっていうことには違いはないのかなっていうふうに捉えるわけですね。
で、そもそもあなたは論理的に物事を考えるのが好きなタイプなんでしょうか?っていう問いかけがありまして。
すなわち、もともと論理的な人、あるいはけっこう筋道を立てて理論的に分析していったりとか、それをもとに行動するのが得意な方っていうのはいるんですね。
気分的なもの・感情的なものよりも、理論的にメリットのある方を取っていく。
会社組織として考えると、そういう動き方をしてることが多いんじゃないかなと思いますし、一般的にも皆さんがなんとなく感覚でやってることをデータをとって分析したら、「そのやり方よりもこっちのやり方の方がうまくいくんですよ」みたいなものっていうのもきっとあるかと思ってね。
そうすると、「じゃあそっちの方がいいや」ってすぐ乗りかえられる人と、「いやでもなんかこっちの方が自分としてはニュアンスがいいんだよね、やりやすいんだよね」っていう方法を取り続けようとする場合みたいなのがあるんですね。
本当に論理的な人、思考的な人っていうのは、すぐに乗りかえるっていうことが可能。
つまり頭で考えて出た答えを実践するっていうことまで含めて、得意・好きっていう人が多いと思うんですね。
ところが感情が豊かですとか、直感タイプですとか、感覚派ですみたいな方っていうのは、「そういった理論的にはこうするのが正しいかもしれないんだけど、自分はこうするのが好きなんだよね」みたいな感じで、それほど理論的な数値っていうもの、結果っていうものを重要視しないタイプの人っていうのもやっぱり多いと思うんですよね。
だからよくあるのが、「頭ではこうすればいいってわかってんだけどついついこっちの方がやりやすいんだよね」みたいな、そういうテーマっていうのも出てきたりするわけですよね。
で、要はそこにも向き・不向きというか、自分にとってなにが好きで、なにが得手・不得手なのかっていうところがけっこうはっきりしてると思うんですよ。
よく考え込みすぎて考え続けてるんだけど結論が出ないっていう話を聞いてると、多分その方ってそういう理論的にズバズバ動ける人ではないんじゃないかなっていうのがまず第一なんですよ。
「長年誰も解いてない数学の公式を証明するためにずっと何年も考え続けてます」ではないわけですよね。
なのでもっとどっちかっていうと、感情・感覚よりの、そういうタイプなんじゃないかなっていうふうに僕は見るわけですけど。
ところがここに一つちょっと問題点というか、ちょっと議論の的になる部分が出てきまして。
考えても答えが出ないことってなんとなくもうわかってますよねっていうことなんですよ。
自分で考えて、それでなんとか答えが出るものだっていうふうに思ってないですよねと。
でもなんで考えちゃうのかっていうと、実はその感情の方に、心の方に、「ちょっと見たくないんですそれ・・・」っていうものがもしあったとするならば、その感情から目をそらすために思考するっていうことを僕たちはよくやりやすいんです。
だからけっこう時間をかけてあーだこーだ考えてるんだけども、なかなか行動ができないとかすっきりしないとかっていう場合には、「もしかすると向き合いたくない感情がここにあるんじゃないのかな」っていうふうに捉えてみるとけっこうわかりやすいんです。
ただこれが難しいのは、向き合いたくない感情があるから目をそらすために思考してるわけで、それに気づいたからといってじゃあ向き合いますか?っていうと、これが難しいんですよね。
なのでここで堂々巡りみたいになっちゃうので、本当のこと言えば誰かカウンセラーだったりとか、そのサポートをつけるほうがおすすめといえばおすすめなんですよ。
じゃあその見たくない感情っていうのはどんなものがあるのって言うと、一番端的に言えば「怖れ」ですよね。
たとえば、本来は転職して自分でやりたいことを仕事にしていきたいと思ってるっていう気持ちがありますと。
で、たとえば転職サイトに登録しましたとか、そんなことをそういうエージェントさんみたいな人に相談してみましたと。
「いけるよ、君」みたいな感じの話までもらってます。
だけども、実は変化を怖れてるというか、あるいは失敗を怖れてたりすると、その怖れと向き合うことがちょっと嫌なので、「どうしようかなぁ、転職どうしようかなぁ、した方がいいのかな、したほうがいいという人もいるけどやっぱり今の時代リスクあるよなぁ、こんな社会情勢の中で転職ってちょっとどうかなぁ」みたいな感じで考え続けることになるわけですね。
怖れっていうのは成功することとかへの怖れっていうのもありますし、もちろんが今言った失敗だとか、それからうまくいかなくなったら生活どうすんねんとか、いろいろこっちの怖れから出てくる思考っていっぱいあるわけですよね。
というのが一つ目。
怖れと不安というのはけっこうセットで見てますからそれ以外でいくと、二つ目でよく出てくるのが「罪悪感」という感情ですね。
罪悪感という感情もよく出てくる感情なんですけども。
この罪悪感というのも、もっと潜在的な罪悪感でございまして。
この感情があると、やっぱり向き合うと重たい、しんどい、そしてやっぱり自分を責めてしまうわけです。
責めてるわけですけど、なかなかこう動きが重たくする感情でございますので、そうするとこの罪悪感っていうものがもし出てくる場合は、違う方向に意識を向けるために思考するっていうこと。
これもよくあるパターンでございます。
ただ罪悪感から目をそらすため考えてるっていうことについては、なかなか自覚はしにくいんですね。
たとえばパートナーシップですごくいい旦那さんなんだけども、でもなんか自分としてはもう違う道に進みたいなと思ってると。
だけどすごくいい人なだけに旦那と別れることを考えると罪悪感を感じちゃうわけですね。
ということは、その罪悪感を感じないようにするためには離婚するかどうかを考え続けるっていうことによって、罪悪感を見つめなくて済むっていうようなパターンですね。
これはけっこうまだ認識しやすいものですけども、もっと深いレベルというのもあります。
他にも罪悪感があれば無価値感というのもありますし、それからすごく惨めさ・寂しさ・悲しみみたいな感情と向き合いたくないから思考するっていう場合もありますし、寂しいっていうところから目をそらすために思考するということもあります。
つまりなかなか考えても答えが出ないっていう時には、もしかすると自分の心に向き合いたくない感情があって、その感情から目をそらすために思考してるんじゃないか、だからずっと考えてるんだけど答えが出ないんじゃないかなっていうふうに見ると、「じゃあその感情と向き合っていきませんか?」っていうのが僕からの提案でございます。
ということで、今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
根本でした。
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