向上心があって成長意欲が強いことは良いことだけど、意外な落とし穴があるから要注意!
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「向上心や成長意欲が強いとつい期待と比較・競争の罠にハマって孤独になりやすい問題~女性性を解放して許し、育てるというマインドセットを手に入れる~」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、今日は「成長意欲というか、向上心があるっていうことは素晴らしいことなんだけども、ちょっとした落とし穴があるので注意しましょうね」っていうお話をさせていただきたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録とかフォローの方もぜひよろしくお願いします。
ということで、自己肯定感があがってきたと。
それによって出会う人が変わってきたと。
そこまでは素晴らしい話なんですけども、そこで出会った人たちと交流を深めていくと、なんかその人たちのことが「小さくまとまってんな」みたいな感じで、ちょっと下に見えてくると。
それで疎遠になって・・・っていうことをなんか繰り返しちゃうっていうネタを今日いただきまして。
「あ、これは自己肯定感があがってくるというか、向上心とか、それから成長力が強い人ってけっこうこの罠に陥りやすいな」っていうことが見えてきましたので、今日はブログにして、こっちのVoicy・youtubeでもお話していきたいと思っております。
この向上心とか成長力っていうのは、すごく素晴らしいものであるんですけども、物事ってやっぱり良い面もあれば悪い面もあるというか、両極なところがありまして。
向上心があって上を目指して頑張っていくわけですよね。
で、そうすると、実力があったり能力があったりとかすると、どんどんどんどん伸びていくわけですけども、そうすると上に行けば行くほど、だんだん対等に話せる人っていうレベルの人っていうのが減っていくっていうのは、どの世界にもあることでございまして。
で、トップに行けば行くほど孤独になっていくっていうような問題が出てきたりします。
「経営者というか、社長さんっていうのは孤独だよ」っていうお話がよく聞かれたりとか、それから格闘技の世界とかでも、「チャンピオンになるよりも、チャンピオンになってからの方がモチベーションの維持が大変で、ベルトをキープするっていうのはすごく大変なんだ」っていうことを言われたりしますね。
で、こういったピラミッド形式というか、上があって、下があってっていうのが、システム化されたスポーツなどの世界だと、あくまでスポーツの中ではそうだというふうに割り切れるというか、切り分けができるので、まぁまぁそれは別に問題ないよっていうことにもなるんですけども。
これがこういった別にピラミッド型になってるわけじゃない人間関係の中で、こういった上を目指していく、向上心を持って成長していこうとするって一見いいことなんですけども、ちょっと落し穴がありまして、それが「期待と競争心」っていう問題なんですね。
で、この期待と競争心っていうのも、ポジティブな見解・意味っていうのももちろんありまして。
たとえば「競争心」っていうのも、「あいつも頑張ってるんだから俺も頑張ろう」とか、「あ、あいつ、あんなところまで行ってんだ。じゃあ、俺もあそこまで行ける」みたいな感じで、励ましとか勇気というふうに使うのは全然オッケーなんですけども。
そこに劣等感とか、いわゆるなんかネガティブな競争心の要素が出てくると、足の引っ張り合いをしたりとか、嫉妬心になったりとか、影で攻撃したりみたいなかたちで、ネガティブな見方をしてしまうことがあるんですね。
で、その中でもとくに出てくるのが、競争心が強い人ほど、「あいつは上、こいつは下」みたいな感じで、上下っていうどっちかに誰かを置きやすくなっていくんですね。
で、「上っていうのは敵、下っていうのは見るべきではない」みたいな感じで、切ってしまうみたいなことがあってね。
で、そうすると、常にさっきのスポーツの世界じゃないんですけども、普段仕事とか人間関係の中でも、そういったいわゆるチャンピオンベルトを巻くがごとく競争していくと、最終的にもし仮にチャンピオンになると、孤独・独りぼっちになっちゃうんですよね。
なので、競争心っていうのが励ますとか、喜びのための刺激っていうことになるうちは全然いいんですけども、それがどんどんどんどん加速していくと、どんどんネガティブというか、孤立していく、寂しくなる、1人ぼっちになる、居場所がなくなる、誰も対等に話せる人がいなくなるっていうことで、「自立」っていう話になるんですね。
自立の究極っていうのは、そういった孤独感であり、それから燃え尽き症候群であり、死の誘惑っていうところが出てくるんですね。
したがって、向上心とか成長意欲っていうのに競争心っていうのが入ってくると、それだけだと、いずれ燃えつきたりとか、それから非常に孤独な状態になってしまうっていう落し穴が待ってるわけですね。
で、順番が実は逆になったんですけども、「期待」っていうのはなにか?って言うと、「自分自身に期待する」っていう要素もあるんですね。
上を目指して頑張ってますから、「自分もああなれるはず」っていう期待が出てくるのもあるんですけども。
実はここで期待が出てくるのは、その「上の人に対する期待」なんですよね。
たとえば自己肯定感があがっていって、出会う人が変わってくると、今まで出会わなかったような素晴らしい方々と交流を深めることが可能になっていくっていうことが起こります。
「あぁ、こんな素晴らしい人がいるんだ」とか、「こんなにアクティブで、パワフルで、非常にバイタリティの中で尊敬できる人がいるんだ」みたいな出会いっていうのをしていくと。
今日のネタ元さんがまさにそういう感じなんですけども。
ところがそうすると、その人のことを競争心とか比較って言ってもいいんですけど、上に見てるもんですから、もうなんか完璧な人、成長した自分の姿みたいなふうに見る分だけ、その人に期待をしすぎちゃうんですね。
ところが、言ってみれば本当は上下もないんですけども、上に見てる人っていうのも1人の人間ですから、当然ながら残念なところっていうのもあるわけですよ。
たとえばすごく立派で、人当たりもいいし、仕事はもちろんできるし、お金も稼ぐだけど、酒癖が悪いとか、女癖が悪いみたいな欠点があったりとか、そういったなんかネガティブな要素っていうのが出てきますよね。
あるいは、より話をしていく、より距離が近づいていくにつれて、だんだん相手のことが見えていくと、「なんか思ってたのとちゃうな」みたいな、「もっとすごい人かと思ってたけど、意外に普通じゃん、この人」みたいなふうに思って、ちょっと見下しにかかるというか。
これも「期待が裏切られた」っていうような法則になってくるんですけども。
そうやって自分が相手のことをすごく大きく見てた分だけ、期待が裏切られて、「なんかこいつ大したことないな」っていうことで、上に見てた人は一気に下に行くっていうね。
なんかちょうどいいところで、、対等なところで揃わずに、下に行ってしまうと。
これが競争心でもあり、期待のもたらす罠っていうことも言えて、どちらも「自立」っていうプロセスにおける大きな問題になってくるんですね。
なので、成長していって、自己肯定感もあがっていって、出会う人も変わったんだけども、「意外にそんなにみんな・・・」みたいな、「期待してたような、全てにおいて素晴らしい人なんていないじゃないの」って。
これは当たり前なんですけども、そうするとちょっとガッカリして失望したりとか、相手のランクを一気に下げちゃったりとかっていうことにつながるっていうことが起きてくるんですね。
そうすると、さっきお話したことの繰り返しになりますけども、そうやって周りの人を見下していくつもりはないかもしれませんけども、なんか「普通の人だな」とか「つまんないな」とか、「この人といても面白くないな」なんていうふうに思っちゃう。
期待があるからそう思っちゃってたんですけど。
そういうふうになっていくと、だんだん誰とも関わらなくなって、1人ぼっちになっていっちゃいますよと。
それは「孤高の人」みたいな感じで言ってもいいんですけども、実はここに非常に寂しさとか孤独感とかが出てきて、「なんか独りぼっちじゃないの・・・」っていうことになるわけですね。
これが自立のプロセスでして、我々が目指すのは次のステージですね。
「相互依存っていうところに行きましょう」っていうことで、俗にWIN-WINの関係性を築けるっていうことが目標になってくるんですね。
で、そのWIN-WINの関係性を求めるっていうところで、なにが大事なのか?なにが鍵になるか?っていうと、いつも出てくるんですけども、「女性性」っていうことなんですね。
で、とくに女性性のなにか?というと、受容力とか、理解力とか、許しの力っていうところがここで出てきまして。
そうすると、信頼ができるようになるよっていうような流れっていうのが生まれていくんですね。
つまりどういうことかというと、期待してしまったっていうことは、上に見てた人に対して随分と「すごい人だ」と思いすぎてる自分がいるんですね。
いわゆる過大評価って言ってもいいでしょうかね。期待しすぎてるって言ってもいいでしょうね。
っていう状態になってるわけですね。
なので、そうするとネガティブな部分が見えた時にガッカリしたり、失望したりとか、「なんか普通の人だな」と思って見下していくようになるんですけども。
これってやっぱり競争で自立なので、受容するってどういうことかっていうと、そういう部分もちゃんと見てあげるっていうことなんですよね。
「まぁそりゃそういう部分もあるよね」とか「あ、やっぱりこの人も人間なんだな」と思ってホッとするとか。
いわゆる「対等な目線で見てあげる」っていうことが大事で。
実はそのための鍵っていうのが「自分自身」なんです、やっぱり。
女性性を解放していく、受容して理解して許していくっていうことを、いきなり他人でやるのは難しくて。
自分の中にそういった完璧主義だったりとか、向上心があるが故に、自分に厳しくなりすぎてるところがないかな?っていうことで、自分自身にもう少し優しくしたりとか、理解・受容・許しを進めていくっていうことが大事なんですよっていうのが、今日のお話でございました。
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